富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月廿五日(月)台風の余波に晝まで暴雨。雨上り日暮れに銅羅湾Inside Outにて諸氏とステラアルトワ一飲。帰宅して鮭あら煮食す。文藝春秋九月号興味なき記事飛ばしつつも読めば三時間余。「変人内閣全閣僚を採点する」だの「『官邸の妖婆』福田康夫研究」「緊急特集12歳の殺人者」だのと見出し躍るが内容はさしたることもなし。特集「証言日本の黄金時代1964-1974」も多くの記述の中で、御廚貴が坪内祐三と田中建五との鼎談にて京極純一政治学の講義で佐藤内閣終焉し田中角栄首班となった日に「今日をよく覚えておきなさい。田中角栄が総理になったことで日本の政治は確実に変わる。おそらくは品位のない方向に。これは大衆民主主義のひとつの帰結だ」と述べたといふ回顧、それに東京オリムピックの日に橋本治が、高校二年生だったその日、二階のトイレの窓から、国立競技場の上空にかかった五輪形の飛行機雲と、その青い空の下に広がる妙にガランとした東京の町を見て、「大の大人がなにに興奮しているのだろう?」と思いました。あの時から、日本人は「分相応」という言葉を捨てて、ただ前に進むことばかり考えて、「反省する」という能力を退化させたと思っております。といふ二つの文章だけが印象に残る。それにしてもNHKアナウンサーであった鈴木健二東海道新幹線開通の実況中継にて述べた言葉、それが30年後にNHK放送文化研究所のまとめた「テレビで印象に残った言葉」の第一位に選ばれたと相変わらず手前味噌に紹介しているのだが、もしあなたの家のテレビに一秒でも何も映らない画面が出たら、それはテレビの技術が新幹線のスピードに負けたことになるのです、といふ文句、今読むと古館伊知郎の廿年前にすでに全く意味のない語り、これぞ橋本治の指摘する「大の大人が何に興奮し」進歩を追ひ「反省する」という能力を退化させた、その明らかな表現。他に興味ある記述では「あの」渡邉恒雄が最も記憶に残る出来事して当時讀賣新聞華盛頓支局長でのドルショックを挙げていること。ドルショックの時の水田蔵相以下大蔵官僚や日銀が判断誤り為替市場開いたまま円売りドル買いに走った事実、この時にすでに日本政府の国家としての無策と米国追従が明らか。ちなみにこの10年で最も記述多きは三島由紀夫割腹自殺。あの事件がアポロ11号の月面着陸(これを余は未だに事実とは思えず)の翌年といふのも近代の交錯。市ヶ谷の割腹現場の写真がない『女性自身』編集部が赤瀬川原平に想像で現場のイラストを描くよう依頼あり、赤瀬川氏はそれを辞退、もし描いていたら是非見たいもの。『女性自身』から、ってのがよし。三島事件に割かれた8頁のうちに銀座の天麩羅・天一の広告。お若い頃から「いろいろな意味で」銀座好きの三島先生は天一で天麩羅食されたのか、とそんなことを想像。芥川賞吉村萬壱ハリガネムシ」読む。石原慎太郎など評価するが宮本輝の批判に余は同意、今さらの性と暴力、吉村氏の文体の会話は涙出ずるほど新鮮ながら地の文はいただけず。地の文といへば中上健次の凄さをあらためて感じ入る。
文藝春秋といえば『週刊文春』にノーベル賞田中氏に「空白の四年間」の過去あり、と。少し期待して見たが「たかだか」民青の活動歴(笑)。当時の東北大の工学部で民青くらい言及するに値せず。