富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月十四日(木)厳寒。昨日よりの寒さ一段と厳しく朝イチの風呂も眠気覚ましどころか暖とるほど。那須の最近の人気の土産は雅子様もお気に入り=愛子様もお食べになるお菓子だとか。那須郡湯津上村は各家の街頭に屋号の看板など掲げる風情の残した古風な宿場町にて町外れの天鷹酒造にて酒購ふ。馬頭もまた古き宿場町。峠越えして茨城に入り大子町の月待の滝にて手打ち蕎麦。奥久慈の山間道を抜けて竜神峡に至れば奥久慈といへば東京でも名を馳せる西荻窪の慈久庵は金砂郷の蕎麦粉使ふはご主人がこの近隣の出身にて竜神にも慈久庵の蕎麦屋を出すが田舎蕎麦の地元にては気取った蕎麦は如何なものか。蕎麦好きの両親は「奥久慈の」慈久庵は評価せず。大叔父の許訪れ祖父母と叔父の墓参り。旧盆らしさ。晩に余りの寒さにZ嬢と妹とちゃんこ鍋。夏など商売あがったりの鍋屋も突然の寒波に商売繁盛、だが閑散期で旧盆では従業員も休み多いらしく慌てて集めたような従業員しかおらずてんてこ舞い。妹の話では駅周辺だの駅南の新しい市街など荒れて夜など浮浪する若者の愚連隊多く恐喝だの窃盗だのの事件絶えず、と。紐育は危険で夜も歩けぬなどと噂して「それに比べて日本は安全」などと数十年にわたり「他人の振り見て我が振り見逃す」を続けた結果がこれかと思ふと寂しいかぎり。昨晩の温泉に続きNHKの再放送にて『大地の子』を母と見る。北京から左遷され内蒙古の製鉄所勤務となる陸一心が北京南站発のホルホト行きの列車に失望のなか乗るのだが、80年代前半に「北京南」といふ駅はなく永定門だったかが駅名で、ホルホト行きなどの長距離列車は当時の北京站発のはず。