富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月十日(日)台風一過の快晴。朝ホテル出で陽射しすでに厳しき炎天下歩き常圓寺に祖母と叔母の掃墓。日本橋に育ち空襲にて焼き出される以前は四谷住まいの祖母は余が幼少の折から芝居だ日本橋に浅草と余を連れて遊び歩き余に東京(とうけい)の粋を授け余は今もって銀座歩けば今はなき玩具のキンタロウにて好きな玩具を余に買い与えしことも懐かしきことなり。西武線に乗りZ嬢の実家に赴き昼すぎ多摩モノレールにて立川、中央線にて国立。吉祥寺へと向ふZ嬢と別れDisk UnionにてCD眺め東西書店にて村上春樹柴田元幸サリンジャー戦記』(なんといふ下品な書名か)など本買い求め畏友N兄の新築なった雙徽第(そうきてい)訪れる。N兄の個人住宅ながら能舞台(写真)、茶室など設けし生粋の庵にて陽光各所より庵に差込み白木も映え此処に宿る人に注がれし「まなざし」を意識せざるを得ぬ工夫各所に冴え渡り見事とただただ感嘆するばかり。夕方に畏友・久が原のT君駆けつけられ暫し歓談。N氏が敷地内に野生の茶葉にて煎てし茶を一服。N氏に問われ味わえば龍井茶にかなり近き茶葉。余十五年ほど前に一年ばかり此処の旧宅に客居させていただいきしことあり、当時の旧邸の玄関の扉など新邸に用いられ旧景を懐かしむ。分倍河原の駅までN兄に送られ(ちなみに分倍とは真に下品な字とかねがね感じてはいたがN兄よりかつては梅の木を多摩川の対岸に分けての分梅と知り納得)18時08分発の京王線に乗り新宿経由にて四谷あたりで六本木の上空に十三夜の見事な月崇め18時53分にJR御徒町駅に着きZ嬢に出迎えられ従兄弟のS兄夫妻、千葉に住まいしK君と許婚のT嬢とで御徒町の京町屋なる酒肴の店にて一宴。旧情温め歓談三更に至る。深夜の中央線にて新宿に参れば車内の様々な奇抜な若者らの姿眺めてはZ嬢と「まるで天井桟敷の舞台の如し」と呟き、新宿駅に降り立てばホームには泥酔の若者、ナケナシの小銭にて改札潜ったか酸っぱき悪臭放つ浮浪女、ホームに倒れ嘔吐する泥酔者など溢れ、新宿駅南口出てば改札周辺の地べたにコンビニで購いし弁当など並べ喰らう少女ら、嘔吐我慢できずタクシーから急ぎ降りて路傍の植木に嘔吐する男、薬剤中毒かわけのわからぬこと絶叫する輩など地獄絵図の如し。ホテルに戻る一帯は久が原のT君の回顧の通りかつてのドヤ街「整備」され見た目綺麗な広場続くが路上には塵だの煙草の吸殻、飲料の空き缶など散乱し、Z嬢曰く見た目ハードは整備されてもソフト全くそれに呼応せず。御意。終戦直後の闇市とてゴミ散乱せし地べたに座り込み喰らい酒飲み男女抱擁せし光景などなし。条例にてポイ捨てなど厳しく規制されし香港のほうが美観と思えるほどの新宿の醜悪ぶり。ホテルに戻り部屋より眺めれば十三夜の月は明治神宮の上空にて輝きその名月愛でる言葉もなし。尊敬せし月本兄よりご丁寧にファクス頂き余の来京に今宵牛込柳町のN氏宅にてS氏らと宴会に招飲、忝し。