富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月初六日(水)晴。天理の史料整理。JRで奈良から京都。車内で平宗の柿の葉寿司で遅めの朝食。何度来ても馴染まぬポストモダンもどきの京都駅着。タクシー雇いヱスティン都ホテル。三条まで路面電車で行かむとすれば蹴上の坂に電車走っておらず???地図には蹴上と駅ありよく見れば東西線なる地下鉄あり驚くばかり。京都にあって地下鉄の色彩感覚ばかりはいぜんより受容れ難きものなれば東西線も下品は紫色基調にそれに馴染まぬ色づかいケバケバしく理解できず。京都市役所前に下車し河原町下り丸善。香港にて入手できずの御酒乱のフランス案内本買はむとするも一読して今となってはインターネットにて得られる情報ばかりで4,000円出して買う気もおきず。六角通の宮脇賣扇庵にて扇子数本購ふ。御幸町通三条下ルの天邑(てんゆう)にて天麩羅。天邑は麩屋町通の旅館俵屋の営む天麩羅屋にて老舗の大店の旦那と美容室広く営むらしき業界風の亭主が偶然店で会ったようで京都らしき旦那会話、比叡山で薪歌舞伎あり播磨屋鴈治郎出演とか、「鴈治郎いはれてもどうも扇雀といふ名前のほうがしっくりきますなぁ」と。お暑いですなぁ、と店の板前氏曰く東京に行って天麩羅屋に寄せてもらふと夏の暑い時こそ賑わっているが京都はどうも暑い時に天麩羅は流行らずいけませんなぁと。今日の最高気温36度。三条通のイノダで珈琲一飲してホテルに戻る。部屋のモデムがどうも上手く繋がらずホテル側に告げるとインターネットコネクティングチェンジャー?だかお持ちします、と、何かと思えば単なる電話(笑)にて電話にて電話で0発信をした上でPC側でダイヤルするだけ。なぜPCから0発信できぬのかわからぬが、電話で少し告げただけでこの対応したところみると頻繁にあることなのだろうか。夕方ホテルのプールにて泳ぎ午眠貪る。ふと彷彿するはこのホテルにかつて泊りしは数十年前の小学校4年の時だかで母に請われ岡山倉敷から京都までの旅を仕切り何も考えずに時刻表のホテル欄から京都はこのホテルを選び自ら電話をかけ予約したもの。ホテルにプールあり夏休みのことで母にプールで遊ぶことを強請り水着を買ってもらひ京都観光もせず午前に泳いだ記憶あり。当時はプールからも市街が一望できたはず。六時前にホテル出るがまだ日差し強し。東山三条の骨董品店春風堂訪れるが不在。Z嬢一澤帆布訪れるが営業時間は朝9から午後5半にてすでに閉店。祇園に入ると白川の近くに銭湯あり一浴。風呂を出ると建物に挟まれた狭い白川に白鷺らしい鳥が佇むを見て京都らしい風情。祇園の「若松」。おばんざい旨いがツクネやブロッコリーなど見事なブラウンソース使い梅を使った茶碗蒸しなど想像こへるが実に美味。祇園にては小料理屋一つ入るにも敷居高く感じるものの女将の気遣い細やかにて飲むうちに常連の客らに歓待され和気藹々。河原崎権十郎氏の達筆の色紙あり女将と歌舞伎談義。比叡山の薪歌舞伎は今日までで、女将行った数日前の公演では切符売切れといいつつかなりの数の立見席あり、それほどお好きやったら今日行ってみればよろしかったのに、と残念がられる。偶然Z嬢の隣席にあった客が粋な浴衣姿にてどこの祇園の旦那かと思へば東の方で話するうちに故郷が余と同じ坂東の小田舎、それも余の祖母が戦後暮らした町の隣町、年は余と一つ違いで高校も近隣とわかる偶然。このO氏もう一方と近くの酒場に飲みにでかければ何たる偶然か、その坂東のY町の町長氏がそこに居り町長とお嬢さんら連れてO氏若松に戻る。常連の出入り続き余とZ嬢も長居を続けること三更に至りタクシー雇いホテルに戻る。
▼昨日の毎日夕刊文化欄に「もう一人の村上春樹」なる「『キャッチャー』を翻訳した理由とは」といふ記事あり。村上春樹の今回の翻訳を「読んでみたい」というのと「なぜ今、『ライ麦畑』なの?」という矛盾した気持ちを抱いたファンは多く、と書き始め「野崎孝を、「オルターエゴ(もうひとつの自我)」的なもの」としてとらえた点がある」と続き、村上ファンといふのは野崎訳も読んでいてその野崎訳をここまで読み込んでいるのか……と複雑な思い。「村上さんの小説は常に「二重化した自我」を描いてきた」のであり「その作家にとって『キャッチャー』における「自我の二重化」(の野崎訳における欠如)は見過ごせない事柄だった」と。……?、なんか文章に矛盾あり、と思いよく読むと段の読み違え(笑)、野崎孝はオルターエゴ的なものなのではなく、たんに野崎訳『ライ麦』は「いわゆる青春文学という印象が強く、「村上さんが訳すほどのものだろうか」という疑問もあったかもしれない」だって。なんでここまで野崎訳を「自我の二重化の欠如」なんでまでこてんぱに言って、それと対比して村上春樹サリンジャーホールデン=もう一人の村上春樹なんて持ち上げないといけないのか。全く理解できず。この記者が村上を提灯記事で持ち上げるのは勝手だが、そのために安直に野崎訳をたんに青春文学、と否定的に扱う理由にならず。あえて複雑そうに訳してみた村上訳がよいかどうか……、この記者があまりに村上側から提灯記事書き、それを無分別で載せてしまふ新聞に呆れる。