富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月初二日(土)爽快なる快晴。海でのんびりとしたいところだが早朝にタクシー雇い香港站より空港快線にて香港空港。毎年一度利用するかせぬかの航空路にて、今年は初、昨年は北京に参るのに深セン空港より片道北京に飛んだのみで、その前が実に丁度二年前の東京行きの同じCX504のフライト。CXのラウンジ。一度、ここのNoodle Barのなかなか上手いという雲呑麺食したきもののCX利用するとなると朝の便多くNoodle Bar開いておらず。独立した机とソファの並んだワークステーションあり早速PCを繋ぐがethernetにて繋がらずケーブルに不具合ありかと思い受付にてケーブル借用願ふとモデムケーブル差し出されethernetのケーブルをば給はむと欲すれば受付嬢曰く此処でご提供するはモデムでの接続のみ、と。では何ゆえに机にethernetのジャックが?と思えばよく見ればモデムジャックと兼用。耳を澄ませばあちこちの机からピ〜ヒョロロロロロとモデム繋がる音が聞こえ、此処は最先端のようでいて実はアナログが現実。中国の田舎ぢゃあるまいしモデム接続も、と思いふと試すと空港は無線LANあり繋いでみれば市街にては無償にて使用可能のPCCWながら空港にては驚くなかれ毎時HK$40の暴利貪る有様。ラウンジといへば全日空のラウンジClub ANAが七月初旬にて閉業、今後はPLAZA Premium Loungeに利用客押し込めるそうだが、かつて日に東京大阪にわずか二便の空港開業当時からラウンジだけはVirgin Atlantic航空と対峙する絶好の位置確保したる意気込みもありけるも懐かしき。CX504便は満席の混雑にて日本へサマーキャンプに向かう地場の小学生の団体もあり。着席して朝からシャンペンなど飲んでいれば前方の席のいかにも米国人といふ男、隣席に来た客に“Hi!”と話しかけ離陸しても延々と自らが初めての中国出張にて中国で見聞きした事柄を事盛大に語り続け煩きこと甚だし。いかにも、の米語の子音が耳障り。最初それに付き合っていた男もついに新聞読み出しヘッドフォン耳にあて米国人も話す相手もなく黙んまり。毛唐といへば通路はさんだ席の女性も肉料理にうっすらと積もるほどに塩かけて見ているだけで田舎漢。何事かと思えば機内放送にてこの便がアメリカン航空との共同運航便と識り納得(笑)。機内食はいつものAsian Vegetalianにて中華精進、食器は全てNoritake。座席もキャセイの一番新しいデザインに改装され快適。かつて10列だかあった747-400の二階席がわずか7列。PC用の電源にインターネット接続まで可能ながら重大なる欠陥あり、インターネットはPCCWの提供するCD-ROMが機内に用意されており、それをPCで読みこむことで機内からのインターネットの利用が可能、と。つまりCD-ROMすら削って小型軽量化された余のMM-1の如き機種は最新式ながらこの接続が不可能!。せめて電源供給だけでも受けやふと思い接続コード借用願えば機内専用のアダプターは借用なしで機内販売しております、と。唖然として機内販売誌見ればHK$1000とは驚くばかり。当然利用せず。紀伊半島は伊勢志摩まで眺め渡り富士も雲間より頂を見せる。成田到着。二年ぶり。入国審査にて“Japanese Passport Holder”は正しいが「日本人」は不正確。正確には日本国旅券保持者」とすべき。入国審査のカウンターの下をくぐり抜けようとする「一部の外国人」がいるそうで、そういう不審者見かけた場合はお知らせください、と。外国人と書くのは偏見ゆえ「一部の」としたつもりだろうが、日本人でも指名手配中に国外逃亡せし日本人が密入国することもあり得るわけで何故単純に「不審者を発見した場合は」と書けぬのか……というかそれ以前の問題としてこんな注意書きなどすることぢたいヘンといふことに気づかぬ事実。15時すぎの成田エクスプレスにて東京。全車禁煙にてなぜ連結部分は喫煙可なのか理解できず。扉開く毎に煙が車内に立ち込め、しかも成田空港の地下駅が禁煙であっても発車まで扉開いた列車内の出入り口付近は喫煙可といふ矛盾。今回の来日はZ嬢と一緒でZ嬢曰く「横を走って通り抜けられると『刺されるんじゃないか』とドキッとする、と。全く。NEXの車内にて昨日の民主党・李柱銘氏がSCMPと信報に寄せた一文を翻訳済ます(日刊ベリタに掲載されぬ場合は後日このサイトに掲載予定)。東京駅より人形町の商人宿までタクシーを請ふ。タクシー運転手、ホテルの地図を見て「これぢゃ細い道とか書いてないからわからねぇな」と。田舎から出てきた者騙すわけの言い草でもなく、余が「日本橋から人形町に向かって交差点の手前でしょう」と言っても合点がいかぬ様子。八重洲口を出たところでそっち方向なら此処から乗らないと」と呼びさすのが八重洲口でも北口のタクシー乗り場にて、自分ら南側のタクシー乗り場に溜まってるタクシーは南のほう専門で日本橋とかはあまり来ない、と言い訳。マジだろうか。九龍の運転手が香港島の路地に不案内なら解るが海で隔てるわけでもなく品川大井の運転手が日本橋に行かぬなどと言い訳にもならず。プロ意識の破片すらなき運転手。こんな仕事などしたくない、などと愚痴ばかり。結局、水天宮のほうより路地に入り甘酒横丁と交わる角は玉ひで、親子丼が脳裏駆け巡れば垂涎の感。商人宿に草鞋を脱ぎ東銀座まで地下鉄で馳せ歌舞伎座の裏手の画廊にて知己のH女史の個展あり本日が最終日にて午後5時半に閉まり飛行機遅れればまず間に合わぬところ5時半に飛び込みH女史には来ることも報せておらず驚かれご主人の独逸人H氏とも四五年ぶりの再会にて旧情を再び温めたきところ時間もとれず再会の約。H夫妻らと銀座通まで歩き松屋にてシャツの袖用の腕バンド購ふ。香港にてこれを欲していたカナダ人のT君にもお土産に一つ。教文社にて旅行本一冊。地下鉄で日本橋を経て西葛西。旧知のW君と再会。あまりに聡明で知恵深くしかも優しさも格別の10歳のJ君と5歳のちょっと反抗期でもW君には甘えるR嬢の二人の子供と一緒。駅近くの居酒屋にて歓談。茅場町経由で人形町に戻る。土曜の夜の人形町など街に人影もなきところコンビニのみ煌々と明かるく客で賑わふは今日の日本らしさか。ホテルに戻ると丁度10時よりNHKでETVスペシャルの「美輪明宏・一番美しいもの」の再放送あり。築地のH君よりこの番組でヨイトマケの唄歌う美輪先生の、化粧もせずに地味な衣装で歌う美輪明宏の一世一代のようなヨイトマケの唄の話を聞き見損ねたこと残念なればまさか一晩の東京の滞在でこれの再放送に巡り合ふとは幸運至極。確かに背筋ぞくぞくとするほどのヨイトマケの唄。「黒蜥蜴」の舞台稽古から野暮なNHKアナ対手の一人語り、美輪先生の半生から三島先生との出会いから別れ、最後に黒蜥蜴の舞台といふ構成。三島先生も出演の映画版黒蜥蜴(深作欣二監督1968年)も初めて見る。乱歩先生の逝去が65年にてこの舞台と映画を見ておらず、乱歩先生ならどう見たかさぞや気になるところ。
▼一昨日の西班牙の蹴球隊皇家馬徳里の試合入場券求む若者らの長蛇の列につ本日の信報の或る随筆曰く香港にて行列あることは即ち何らかの盛況あらはすものにて、日本人の行列はたんに人は並ぶ習慣ながら、香港のそれは行列の先には良品あり、行列なき事は即ち人気なく、幼稚園入園から行列に馴染む、と。また行列できることは売る側なり主催者側の何らかの落ち度(供給なり販売方式の事務的な配慮不足)あるのだが単に十分な供給をすればいいといふような発想は17世紀のマネージメント感覚であり、多少供給足りぬことが需要促進の最大の鍵、と。この蹴球の切符とて一晩徹夜して獲得した、といふことがベツカム選手拝み一生忘れ得ぬ記念となるが如し。更に行列が維持されることは順法の社会ゆえの証拠。最後にマスコミが長蛇の列を報道するに応じて行列に並ぶ者増えるマスコミの効用。これが行列の社会学、と。但し、とこの書き手が最も不思議がるは数日間だか丸一週間野宿して一番目に切符を購つた若者が一人4枚までの制限でわずか2枚しか購はず、の事実。本来なら2枚余計に得てそれを横流しするも可、それをせぬこの誠実さも香港人のレベルの高さ、と自嘲。
▼財務司司長に現・工商局長の唐英年氏に内定と各紙報じる。上海閥まだまだ跋扈す。
▼香港の気温、この10年で0.6度上昇。摂氏12度以下の寒冷日は年間28日より13日に減り視界は8km以下である時間が2%から9%に上昇。異常気象など当たり前すぎて話題にもならぬ、か。