富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月三十一日(木)快晴。夕方、Happy Valeey見下ろすBroadwood Rdを自動車で降りるに歩道に多くの若者の行列。難民の如し。碧咸(ベツカム)なる選手ら有する皇家馬徳里なる蹴球チイム来週香港にて賽事ありその入場券求むとか。列は遙々香港大球場よりにて球状を二周しCaroline Hill Rd越え日本人多く居住せしこの高台にまで至る(地図)。皇家馬徳里今日は北京に滞在にて宿泊の北京飯店周辺には碧咸ら一目拝まんと欲す群集溢れ感激に咽ぶ少女らの姿。黄昏にA氏に相伴し銅羅湾のInside Outにてステラアルトワ一飲。帰宅してカレーライス。睡魔に襲われ新聞うつらうつら読んだのみにて23時のRTHKのニュース聞きつつ就寝。
本日剰本年一月十六日の条につき久が原の畏友T兄より贅言いただく。
歌御会始(明治期まではこれが正称)の詠歌は本人自筆の筆跡本紙をそのまま叡覧に供するならいにて、「半紙を横長に使い」は古伝の歌懐紙の書法。姓名等(以前は位階勲位も。すなわち「大勲位中曽根康弘」など)明記するは、宮内庁の管理体制ならで、歌会の古風に準ずるが為。自筆自署の当紙を聖上の手元にそのまま上げ、陛下自身一枚一枚詠進者本人に対面遊ばす御心にて万余の墨跡すべてに目を通さるるがゆえ、あえて懐紙式正の書式にこだわるが真相。詠進歌は都道府県別に冊子となり、御所内御書斎宝座々右に長く留め置かる。「指定の葉書に気軽に歌を書いて宮内庁まで送ってください」と言えぬは以上が理由なり。ただし、「海外からの場合、用紙は自由で毛筆以外でも可」とは、胡狄蛮夷は歌道美風の限りにあらずといふことか(笑)
余の浅学恥じつつも畏友に余の駄文遡って読んでいただきこそばゆし。