富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月二十日(金)曇。二更に西湾河の香港電影資料館。Murnau特集にて1922年の作品“Phantom”見る。『神聖喜劇』読みながら待てど定刻より10分すぎても始まらず館員の説明にてこの資料館での無声映画上映となると必ず伴奏される電気ピアノ師の来場遅れており、と。それなら演奏なしで始めてくれ!と請願したきところ件の師現れ残念ながらまた大音量での伴奏始まり耳栓して防災。演奏は上手いのだが映画に邪魔。翌21日に電影資料館に「音楽もいいが音楽聴きに行ったのではなく映画見たいのであり無声映画で最初から最後まで二時間以上もあんな大音量で音楽聴かされては邪魔なこと」と苦情申し上げる。この1922にNurnauは“Nosferatu”とこれと更に“The Burning Soil”の三本完成する超人的作業。この“Phantom”物語ぢたいは誠実なる男が美女に出会ったことでこの悪女に翻弄され自分の人生台無しにする、と実に他愛なき筋ながらNurnauの映像の見事さ、その構図、調光、模型など利用しての特殊撮影など。どうすれば20年代にてあそこまで暗い夜の風景、室内でも鮮明なる撮影ができたのか、当時のレンズとフィルムの質の高さ。この“Phantom”のフィルム、ドイツにてかなり精緻に至るまでの補修がされ(小津のフィルムの破損ぶりに比べる)傷などほとんど修正され、しかもそれが良いことかどうか賛否両論だろうがオリジナルフィルムを35mmの現在の標準のコマ速度(1秒に18コマだかなんだか)にまで向上させた復元(これは復元でない)だそうで3月だかのベルリン映画祭でも上映されたが実はそれはまだ完成前のβ版だそうで復元完了は実は6月に入ってから。つまり今回の上映も実施できるかどうかかなり危ぶまれた結果世界での初映だそうな。ただ問題はこの復元作業、精緻である以上に場面ごとに視覚効果出すためかオレンジだの緑色だのと画面に色づけしてしまったこと、それにト書きがきつい黄緑色でしかもこの映画ト書きが多いためそれ読むのがかなり目に堪える。残念。映画愛するW君に遇う。あの音楽どう?と尋ねたら「大嫌い」と。通常の感覚ならそうであろう。映画終わって西湾河に出て最近かなり興味ある太安商城に入る。ディープなり。三益麺家なる雲呑麺にて名を馳せる店あり其処に向かったつもりが新橋のガード下の如く煙たなびく一角あり何かと思って覗けば美味そうな炒麺を専ら供す屋台あり客が暑さ猛々しく煙に咽ぶほどのこの通路で客が三、四人注文した麺の出来上がりをじっと待つ(写真)。この汚らしい屋台の主人とその妻がこれまた中上健次の路地の住人の如し。不味かろう筈なく干炒牛河を注文し帰宅して食す。甘辛のソースに葱や大蒜の芳ばしさ、油っぽいのは今どき珍しいがラードの強烈なる脂味。懐かしいかぎりの味。小熊英二&上野陽子(どうもこの師妹コンビが往年の平尾昌晃&畑中葉子を彷彿させる)『<癒し>のナショナリズム』読了。「新しい歴史教科書をつくる会」をただ右翼保守反動だのファシストであるとか非難しても意味がないこと、彼らの多くには自らに体制側であるという意識もなく一貫した右翼的イデオロギーもなく、寧ろ健康で常識的なリアリズムがある。そして国際化が寧ろ日本というアイデンティティの無理な構築を無意識のうちに強要する点もあり(香港の旭屋書店にゆけば何故こういった日本のアイデンティティ本=この歴史教科書だの小林よしのりの『戦争論』だの『ゴー宣』などが平積みになって売れているかよくわかる)、経済成長の結果として生活保守的な「日本人の誇り」(80年代初期の“Japan as No.1”からバブルまで)が平成不況で「歴史という別なシンボル」を求めたこと。そして更に重要なことは実は保守反動を非難する「戦後民主主義」だの「リベラル」という言説が若者にとって現実には日本社会が平等とも民主主義ともほど遠い事実、つまりそれを信奉して生活していたら体制と権力に抑えられ損するばかりのが現実、という状況にあること。そういった諸象が現代の何も信じられぬ人々の間で<癒し>となるようなナショナリズムを生む土壌である、と小熊氏。具体的にこの「作る会」の公民教科書を小熊氏が丹念に読めば、そこには一貫した保守的な思想も主義もなく戦前の国体のようなものであったり実は50年代の日本共産党の主張したようなナショナリズムであったり。この「普通の市民の」(といっても神奈川県の市民団体で産経新聞の購読者が4割を超えるというのは「普通」からはかなり乖離しているのだが)<癒され方>から昭和10年代の<近代の超克>を思い出す。<近代の超克>も今の言葉であれば<癒し>であり、軽井沢の避暑地にて精神的レジスタンス?を続けていた加藤周一などの「リベラル」も現実を回避することで癒されていたわけで、つまり戦争という事態になって転向側もリベラル側もただ癒されているだけで戦後に「なってしまった」わけで、そこから戦後が始まったことが取り返しのつかぬ日本の不幸なのかも。
▼首相小泉三世閣僚の夫人ら10数名を官邸に招き昼食会開催。夫人らからは「うちの主人より背が高くてステキ」といった声が、と日経。背が高い? 厚相の頃かニ度ほど歌舞伎座にて三世の尊顔に拝したことあれど席にお坐りになっておれば周囲の御婦人方に隠れて見えぬほど小柄で華奢、一人でふらりと芝居見物というのはさすが又次郎氏の孫で粋なものだが、お帰りになるお姿見て背が低い印象あり。で、具体的な資料みれば169cm、60kgと痩姿であるがそこそこの身長、これなら閣僚の夫人が「うちの主人より背が高い」というのもあり得ぬ話でないが、記憶に残るは北の将軍様とお並びになった際の絵面にて(写真)将軍様と対して変わらぬ背格好。将軍様といえば165cmという説もあるが(それもブーツだの魔法靴とその世界に二人とおらぬ崇高なる髪型にて背は5cm高いとか)、とすると、小泉三世も将軍様の公式身長と同じくらいとしか思えず。疑問ますます深まるは小泉三世が江沢民や(写真)や朱鎔基(写真)と一緒に写真に収まると背が同じなのだが朱鎔基のほうが森喜朗よか背が高く(写真)つまり森喜朗よか小泉三世は背が高い?となるが森君は175cmの巨体。つまり小泉三世の背は公式でも165cmの金正日から175cmの森喜朗よか背が高い朱鎔基まで10数cm伸び縮み。それくらい鵺の如くなければ政治家など務まらぬか。政治の世界といふのはまことに不思議なものなり。外交儀礼として各国領袖の背を同じに見せるというのなら、つまり外交なり政治が茶番といふこと。