富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月十七日(火)午後ヨリ久々ニ晴レ。養和病院歯科に定期検診に参る。まるで書斎の如き待合室の大きな窓より見下ろすハッピーバレーの競馬場、最もエキサイティングなる第四コーナーにて、芝もだいぶ剥げて今季残すところ明日のみとなることを物語る。待合室には古今東西美術書から災難続きのNew York Timesまできちんと揃いNY Times読んでいたら極道者の如き紫色のシャツに薄黄色のズボンに白い野球帽と何ともその筋らしき風采の男現れ受付でやたら馴れ馴れしく図々しい態度に「その筋らしくさもありなむ」と思い診察予約表まで見させて、もしやその筋の者対立する組の幹部でも診療中にてそこを襲撃か?と一瞬冷やりとせしが看護婦のやけに慣れた態度で「ん?」と思えばその筋の風采の男この歯科部長でこの病院の経営理事でもあるWL教授(笑)。しかも恐れ多いことに余のたかだか検診にWL教授現れ自ら検べられる光栄に拝す。WL教授には二年ほど前に親知らず抜歯されたことあり神業の如き治療にただ唖然とす。ヤクザ風であることと大の愛煙家にて指がタバコ臭きもWL教授らしさ。WL教授の部長室の扉には親ブッシュ元大統領夫妻とWL教授夫妻がホワイトハウスにて(つまり親ブッシュ現役の頃か)の記念写真あり。部長室は日本でいえば「たかだか私立総合病院付属の歯科医」で診療室ではなく個室があるだけでも贅沢なところ40平米ほどでシャワーつき洗面所まで完備(入ったことないが避難経路図に記載あり)。それにしてもWL教授、極道者か歌舞音曲の芸人のような華あり、独特の威厳漂ひ、こちらが萎縮するほど。抜歯した親知らずの手前に位置する奥歯の見えぬ裏側に虫歯あり保険使ってもHK$4,000と見積もられ夏に日本での治療を期す。晩にY氏と天后の利休にて食し款談暫し。むぎいちなる焼酎一本空けて更にもう一本を半分ほど愉飲。大阪の味を供す利休で鰻の柳川がやたら、割下が駒方どぜうよかもっと濃い口で正直言って酒菜としては頂けず折詰に。ふと厨房みれば新参の料理人あり、その所為か、と察す。いずれにせよ上方の店としては以前に比べだいぶ味が濃くなりぬ。
▼かなり日本語堪能なI嬢より読解の質問受ける。ネタは光村図書の小学4年国語(下巻)『はばたき』にて巻頭にある今西佑行なる児童文学者の『一つの花』という出征した父親を先の大戦にて失った少女主人公とする物語。話の筋ぢたいは右から自虐史観だの愛国心に乏しい反戦贊美、左傾教育と避難されそうなもの。だがその思想性云々を考えるまえに確かに読みづらい文章。例えば
お父さんが戦争に行く日、ゆみ子は、お母さんにおぶわれて、遠い汽車の駅まで送っていきました。頭には、お母さんの作ってくれた、わた入れの防空頭巾をかぶっていきました。
という文。子どもであるとか日本語に堪能でない者には文章の係り結びが不明朗。
お父さんが戦争に行く日、ゆみ子はお母さんにおぶわれてお父さんを遠い汽車の駅まで送っていきました。ゆみ子はお母さんの作ってくれたわた入れの防空頭巾を頭にかぶっていきました。
なら、本多勝一のような構築系の日本語になってしまうが(笑)わかり易い。このくらいなら文法的に間違いというものに非ず。だがこちらはどうか。
ゆみ子とお母さんのほかに見送りのないお父さんは、プラットホームのはしの方で、ゆみ子をだいて、そんなばんざいや軍歌の声に合わせて、小さくばんざいをしていたり、歌を歌っていたりしていました。まるで、戦争になんか行く人ではないかのように。
一瞬、その出征する駅でのシチュエーションを考え直してみらいとわからぬ。駅は軍人の出征を祝う万歳や軍歌で賑やか、それに対してゆみ子と母が見送るだけの父の出征は寂しいもの。ああ、この父が周囲のばんざいや軍歌の声に合わせて自分も小さく万歳したり歌を歌っていたのか、この父は戦争に行きたくないのだな、と感じるのだが(このへんが左傾教育!……笑)「ゆみ子とお母さんのほかに見送りのないお父さんは……歌を歌っていたりしていました」までの一文が長すぎて複雜な係り結びになってしまい、これは本多勝一ぢゃなくても悪文。確かに、この係り結びの多い長い一文は「心ならず出征する父親とそれを送る家族の複雜な気持ちを周囲の情景に合わせ敢えて散漫な文章で描いている、といった説明もできるかも知れぬ、が、これを読むのは10歳の子、教師も説明できるかどうか。文部省も教科書検定するのなら、思想性よかこういった部分の改良を原作の独自性も大切だが「小学4年生の教科書として」行うべきではないだろうか。特に「ばんざいをしていたり、歌を歌っていたりしていました」という、これはひどすぎる表現。「万歳したり歌を歌っていました」でいいはず。「いたり、いたり、いました」と小学生でこの表現は直される。例えば
お父さんの見送りはゆみ子とお母さんだけでした。お父さんは、プラットホームのはしの方でゆみ子をだいて、まわりの他の人たちのばんざいや軍歌の声に合わせて自分も小さくばんざいしたり歌を歌い始めました。お父さんはまるで、自分が戦争なんかに行く人ではないようです。
とかで如何だろうか。こういった教材の思想性とは面白いもので、右からみれば偏向していても、左から見れば、この物語はお父さんが戦死する悲しみだけで、そのお父さんが国を守るためなのか侵略で支那人土人相手なのか戦争で何をしたのかもわからず平和教育の教材とまでは言い難い、となる。