富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月六日(金)朝から驟雨幾度となく。早晩に雨の中ぼんやりと車窗にあたる雨粒の向こうに対岸の建物など眺めておれば週刊香港のK氏より携帯に電話あり連載の〆切り週明けであること発覚。週末原稿に呻吟するも惜しく但し今回の連載の種本である69年発刊の『香港台北いい店うまい店』文藝春秋の複写が秘密基地に置きっぱなしで雨の中基地まで引き返し件の複写携え帰宅。いつものことだが僕の場合原稿は書く前に頭のなかでモーツァルトの如く旋律が湧き出で(言いすぎ)書く(正確には電脳に向い打つ)といふ作業は頭の中にある文章を文字化するだけの作業のため原稿仕上げるのだけは早く寧ろ疲れきった思考を柔軟にするには珈琲よかDry Matiniなど飲みながら800字余の原稿ならば小一時間あればデータの確認など含め終わる。これまで全く気にも止めておらぬは江蘇省の揚州の地名にて楊州の字がかなり多く使われ(新聞などでも)こちらのほうが楊(やなぎ)でよっぽど文雅であるが。じつはどれくらい楊州が使われているかと思って検索かけたら余も昨年8月に楊州炒飯と記載あり。有事法案が今日成立。60年安保にてアイク訪日阻止、岸退陣させたほどの世代が自分たちが老境に達したおり、70年の学生運動激しかった世代が自らが50代で社会だの会社をまとめる将来に有事法案を通すとは「当時は」思ってもいなかっただろう。後藤田氏は有事法案に反対だと思われるかも知れぬが、と前置きして本来は文民統制を踏まえ自衛隊成立のまえに立法化しておく必要があった法案で、これが日本の平和主義を脅かすものに非ず、と(日経)。確かにそれに一理あるのだが、問題はそこまで広範深意な判断や議論もなく、ただぼさーっとしている世論のなかでこういった重要な事項が通ってゆくこと。これが教育基本法であり憲法にまでゆきつく。なにか国家としての体言があってのことならばよい。が問題は頭のなか空白のままであること。
▼長野県が住民基本台帳網への離脱を求める動きに対して総務省は「首長が独自の判断での不参加は認められず」と見解を各都道府県と政令指定都市に出す。総務省は「住基ネットは極めて安全なシステムでハッカーが侵入しても住基ネット入り込む怖れはない」と。笑止千萬。侵入しても入り込めぬということは住基ネットにこそ入れずとも総務省の門潜り徘徊している、ってか。どのようなシステムであれ極めて安全など在らずハッカーはそういう奢りを聞けば発奮するわけ。実は総務省とて国民情報の管理システムを実はNECなど民間大手に放り投げたのが事実。長野県の極めて理性的な判断であっても結局は地方自治などこの国にはなし。米国であれば少なくとも州自治の鉄則にてこういった判断を尊重し、その上で見えぬところで管理する「叡知」あるところ。日本はまだ幼稚か。
▼大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件で国が謝罪し4億円賠償。国立の学校であるから賠償は当然だが被害を最小限に食い止められずの管理責任を問い学校の校長や教員も処分、と。確かに子供を助けるため自らの命も犠牲にしてキチガイを取り押さえられなかったのは事実、だが日本中の学校が塀は低く校門を開けっ放しであったのが事実。それで映画などで紐育のハーレムの職員室が鉄格子で生徒から守られた学校を見て「アメリカは怖いわねぇ」と。キチガイが偶然侵入したのが池田小だったわけで、どこの学校でも誰かが命を犠牲にして刃物もったキチガイを捕まえぬかぎり被害は同じこと。今だって自宅の玄関に鍵かけておらぬ家も多いわけで、その家に突然こんなキチガイが入ってくることが現実にあることを理解しておらず。結局「日本の社会は安全」という神話できたことのツケが今こうして出ている。だが犯人はシナ人でもパキスタン人でもなく同胞であること。
▼日経に北京からの記事で中国が「汚水処理施設に4兆円投資」と。河川の水質悪化を防ぐため都市の生活用水や工場廃液の処理が目的だそうだが、現実に北京などの事情を知る者にとってはこの4兆円で全土に何ができるのか、と甚だ疑問。北京があの砂漠のなかにどうやって数百万の人口に耐えうる都市を築いてきたか、それは生活用水を極端に節約した生活ぶり。水は盥のなかで使い汚れた水は庭に撒くなり草木にやるなり。汲み取り式の便所も夏の悪臭など酷かろうが、今日のようにシャワーだの水洗便所の生活普及すればもともと水のない北京(それ故に湖水に憩うことが宮廷にとってのどれだけ贅沢であったことか)で水不足は当然。川というより運河であり水の流れは悪いのだからそこに生活汚水が流れれば汚染される。治水が歴代の王朝にとっての最大の要事。中国が経済発展する上で最大の問題が水利。
▼昨日綴ったDRAMについて事情通のY氏より教示いただく。日経の「記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリー」という表現はY氏ですら「確かに言われてみると変な日本語表現」であり「最初に聞いたときは何のことかわからなかった」と。ただしDRAMはいつもこう訳されるそうな。具体的にはDRAMとは「常に電圧(すなわち電源がONになっている状態)をかけてないと記憶された内容が消えてしまう」もので、これが「記憶保持動作が必要な」ということ。言われてみればわかるが「記憶保持動作が必要な」だけでは全く意味不明。で、通常PCで作業している時はまずDRAMに記録されるのでそれをHDなど(つまり電源OFFにしても記憶の残る媒体)に保存しないといけない、ということ。よくあることだが急に電源が落ちたり電脳が硬直してしまった場合それまでの作業が消えてしまう、あれはDRAMなどにしか保存されていなかったから。ではなぜDRAMが必要か、といえば操作性が早いのとコストが安いからで、このDRAMとHDなどの「記憶保持動作が不要なメモリ」との組み合わせが要る、ということ。なるほどよく理解できたが、ここまでの説明をせぬとDRAMが理解できぬのが事実。「記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリー」では何もわからず。
▼仙台の某君より創価学会との闘いに明け暮れる週刊新潮に我らが萩原健一先生が「麻薬常用の後遺症で骨がぼろぼろに!」といい加減な記事あり、と。まずショーケンは麻薬じゃなくて大麻。さすがに記事には「通常は、大麻や麻薬の常用で骨に異常をきたすということはありえない」という医者のコメントを載せ「それじゃ何なんだよ!」だが、よーするに麻薬でハイになった人は食事を抜いても興奮状態にあるので栄養不足になる……とそういう話。確かにシャブ打ってもらって一日何も食べずに元気だった余の友人もいるが、大麻は聴くもの見るもの食べるもの全てがこれまで未知の至極の味わいがあるわけで、それは常識、大麻の萩原先生では骨はぼろぼろにはならず。勝手な記事。某君曰く敢えて大麻で骨がボロボロになるとすればショーケンはキメるととても甘いものが食べたくて食べたくて甘いものの食べすぎでカルシウム不足になった、とでもいう状況しか考えられず、と。御意。このようなインチキ記事をまた何も真実知らぬ無知な読者が読み「大麻で身体がボロボロに蝕まれる」と信じきって、そういう東横線でこの記事読んでいたオトーサンに限って高校生の息子が渋谷のディスコで大麻を友人より譲り受けた疑惑あることが息子の友達が警察にパクられたことで発覚、息子の将来は?、あと8年で退職となる自分の会社人生はこのバカ息子のおかえで台無しか、と悩み、母は母で生垣の向こうに歩く人影あれば警察が密偵しているのではないか、ご近所に知られたら……と夜も眠れず、それで家庭がとんだ災難に見舞われる……と、想像するだけでも悲劇。「どうだい?、ジミ=ヘンドリックスのギターがどんな違う音色に聴こえた?」というくらい粋な父であつてほしいと願ふ。