富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月三十一日(土)快晴。疫禍改善に向うは結構だが地下鉄のなかだの口枷とったが如く大声で騒ぐ人たちみてウンザリ。地下鉄が空いており乗客はマスクしてダンマリ決め込む静寂の二ヶ月。そういえば昨日だったが携帯に Message from HK Tourisim Board: The WHO travel advisory for Hong Kong has been lifted. Please send this good news to your friends overseas! と消息入り、何か新たなる吉報あったのかと思ったが、これはすでに1週間ばかり前のWHOの決定にて「何を今更」という携帯使っての消息。消息といえば4月1日April Foolの日、張國榮が自殺した日の午後、香港が疫埠を宣言といふニュース流布されるが事実無根と携帯に一斉に伝言流れ、いったい何がおきて何を否定しているのかすら茫然としたあの日から早二ヶ月。今回のこの香港旅遊局からの伝言は「遅すぎる」もので、「このような二次情報」に香港の全携帯所有者に向けて伝言流すのことも如何なものか。朝からWireless LANの設定するがつながらず、プールにて一泳、数十頁残していた亂歩隨筆集とようやく村上春樹訳『ライ麦』読了。午後ふとバスで青山公路まで遠出、大欖、静かな、見事なまでの快晴。焼鵝で名を馳せる深井。小さな海岸にて荷風先生『ふらんす物語』読み始める。一浴し黄昏からHK Space Museumにて小津安二郎『東京暮色』と『小早川家の秋』。『小早川』は翌年62年の『秋刀魚の味』が遺作となる小津の原節子を起用した最後の作品、原節子も翌年に稲垣浩監督『忠臣藏』で先代の幸四郎の内蔵助の妻・りく役が映画出演が最後となるのだが(当然、小津の死に重なる)、この『小早川』は59年に『浮草』で好演の中村屋中村鴈治郎)の演技が一人光っているが話の筋はいまひとつ散漫、原節子の立場も微妙、笠智衆の話の筋とは全く関係ない百姓の役も笠にそれが似合うわけもなく、黛敏郎のtoo muchな音楽といい最後の火葬場の近くの川原のカラスの群れでのエンディングといい、本当に不思議というか後味宜しからぬ作品。確かなことは小津が描き続けてきた不安定ながらどうにかその「型」を維持しようとしてきた家族がこの60年代の高度成長の時代、造り酒屋の大手資本への合併吸収、結婚による家族離散などで、もはや笠と原節子が演じてきたような親子のほのぼのとした時代が終わっていること、また会話がどんどん過剰となり小津の、登場人物が話すたびにカメラがパンしていてはとても会話の速度に応じない現実。それにしても鴈治郎の演技の妙。この人と息子扇雀(現・鴈治郎)で演じて好評博し続けた曽根崎心中を見ておらぬことの不幸。当代の鴈治郎坂田藤十郎の名の復活襲名など画策しているが藤十郎に価したのはまさにこの父のはず。だがこの鴈治郎の演技でひとつだけ粋じゃないのが扇子の使い方で、夏の物語ゆえに始終扇子で扇いでいるのだが絵にならぬ。扇子だけが扱いが下手なのか、だがこれほどの役者でそれはない、とすると、憶測だが撮影が実は夏でなく自然と扇ぎ方がぎこちないか、いずれか。番頭・山口演じる山茶花究がさすがエノケンからの喜劇役者の味をいかんなく発揮。大旦那(鴈治郎)の妾家通いを文員(藤木悠)と話す場面、葬儀の段取りの場面など秀逸、こういった脇役の喜劇俳優の面白さ格別。四月より続いた香港映画祭、これで全幕終わる。終わって映画一緒したZ嬢と尖沙咀東まで散歩して五味鳥にて焼き鳥。相変わらず満席盛況。