富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月三十日(日)朝の気温摂氏20度、湿度85%、どんよりとした曇天に今にも雨振出しそうにてまさに粤海の春。朝七時十五分よりレース開始ながら朝寝貪り六時半に起床、目もよく覚めぬうちに朦朧したままレース参加。じつは応募したのはハーフマラソンながらこの数週間満足なトレーニングもしておらず昨晩10kmに変更済み。ウェスティンのこのホテルの正面がスタートにて一気に坂上り準備運動もままならず心臓飛び出る思い。コロアネの島を一周、この島がもともとはマカオの離れ島にて、強いてあるものといえば監獄、それに警察学校。フーコー的な世界。80年代末よりリゾート開発進むがバブル崩壊にて幽霊屋敷の如し。わずか10kmで三箇所の水補給あり、これは昨年のレースが摂氏30度、10kmは水補給なくかなり過酷になった反省とか。最後、黒砂湾の文字通り黒砂が波打ちぎわに広がった海浜の砂を走り50分余にてゴール。サウナ。まだ朝の九時前にてタクシーにて路環の市区(といっても小さな集落だが)に赴き焼き立てのエッグタルト、クロワッサンとヨーグルトの朝食。ホテルに戻り朝寝貪る。昼に歩いて黒砂海岸のFernandoにて昼餉楽しむ嗜好もあれど流石に腹も空かずルームサービスでオリエンタルサラダ一つとVihno Verde一本注文しバルコニー(200sqfほどあり黒砂海岸を見下ろす)でサラダ食してワイン一瓶空ければまた睡魔襲い荷風先生『あめりか物語』ほんの少し読み、日本語版のハート&ネグリ『帝国』前書き読んだ程度でバルコニーでそのまま午眠貪る。South China Morning Post読んでいたらマカオは奇跡的に非典型肺炎の感染者が出ておらぬ、と。マジだろうか。それにしても返還以降さまざまな問題ばかりの董建華の香港に比べ澳門のこの落ち着いた状況、まず物騒な暴力団絡みの抗争撃滅し、公安立法だの疫病感染もなく古くからの建物残した落ち着いた街並み、江沢民も香港、澳門の行政長官と会見し意図的だろうが澳門持ち上げるも一理あり。夕方またサウナに浴し目を覚ましホテルのバスで市街。石樟堂巷の澳門珈琲店にてエスプレッソ一喫。マカオ土着のポルトガル人多く集ひ喫茶。黄昏に市街旧跡彷徨、かなり久しぶりにAfonzo IIIにて晩餐。我らが最初の客、ご亭主、だいぶ大きくなった小学生の息子とチェス遊び、ようやく厨房に入り調理始めるがこちらの料理運ばれると自らも晩餐、息子は?と思えば丁度来店した女性、てっきりご亭主のレコかと思えばさに非ず、息子の家庭教師。店の空いた宅にて勉強。この息子、将来Afonzo IVとなるのだろうか。澳門珈琲にせよこのAfonzo IIIにせよ、かつては葡萄牙の帝国的侵略ながら今では権力も覇権もなにも遺らずこうして異民族が異郷の地に根づき葡萄牙でも広東でもなき独特の文化地帯つくりこうして市井にて毎日暮らす日々。烏賊焼き、羊腿肉のローストにて赤葡萄酒に酔い、酔い醒ましに水坑尾街まで散歩、禮記にて昔ながらの味つけのアイスクリーム。タクシーにてウェスティンまで戻るが運転手、少なくともウェスティンといふ狭い澳門にては最もロングのお客を獲っただけでも幸いと思うべきところ、わざとフェリー波止場のほうからPonte de Amizade(友誼大橋)渡るのは距離稼ぎながらまぁ夜のドライブで赦すにしてもコロアネ島に渡る車に許されれる5パタカの追加料金を10パタカと誤魔化しホテルについてZ嬢に指摘されると5パタカ返すに応じるが不景気とはいへかふいつた卑怯な手段は許されまじ。ゆっくりとお湯に入り久々に終日のんびりと憩ふ。
▼ 昨晩NHK週刊こどもニュースなるもの見ていたら勿論米軍のイラク攻撃にどれだけ無理があるかは述べつつも進軍する米軍がいかに困難な物資補給、殊に戦車の給油、を続けているかに始まり、そういったなかイラク側の反撃は国際法上米軍は一般市民を攻撃せぬのに一般市民を装ったフセインの親兵が路傍の市民装い米軍を襲撃、また同じように病院は米軍も攻撃避けているのにそれをいいことに病院から米軍の軍列に向かって射撃される、と。その困難のなかを進軍する米軍、と。それを聞けば正々堂々とした米軍に対して卑怯な手段用いるイラク側だが、そもそも米軍のイラク攻撃が国際法上も何ら根拠なきものにてその前提を語らずこのプロパガンダ的なニュースが子供むけに報道される。知った顔で驚いたり怖がったりしてみせる三人のいかにも劇団ひまわりの子供ら、台本と演出なき現実でどれだけ考え真実を見つめられる大人になれるか、が大切。
(30日晩、マカオウェスティンリゾートホテルにて綴る)