富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月二十八日(金)曇。黄昏に香港大学への道すがらConduit Road通り抜ければ数えてみれば引越から早七ヶ月、懐かしき通りを香港大学長住宅まで。藪用済ませ大学図書館で少し読書。湾仔運動場で明後日の10km レースのゼッケンなど受け取る。Great Eagle Centreの韓国食堂純子屋にて一人ビビンバ食す。かつてはもっと居酒屋風だったが改装し外から丸見えですっかり食堂の観、昼の営業に徹底かいぜんよか 客も少なし。今月上旬の断酒が功奏したのか酒飲まぬ日多く今夜も寧ろ珈琲飲みたく某所のPacific Coffeeにてエスプレッソ一喫、店の外で駆回り騒ぐ子どもら「だるまさんがころんだ!」と日本語で絶叫し続けショッピングセンタ内に響き煩きこと甚だ しく通りがかりの買物客も珈琲店のなかの客も困った表情、店出た際に「ここで遊んじゃだめだよ」と注意すると子どもら驚いたことに「だるまさんが転んだ」 し続け聞く耳もたず。通りすがりに一度言われただけで無視していれば大丈夫とでも思ったのか。もう一度言うととりあえず遊び中断したが鬼役の子に「誰です か?」と尋ねられる。咄嗟に思ったがこれは相手の名前を聞いているのに非ず。身も知らぬ者であることは顔見ればわかっている。これは「遊んじゃだめ」とい う注意に従うかどうか判断するための相手の確認。ここで余が制服を着ていたりとか(衣装の効用)、「学校 の先生です」とか警察とか北朝鮮工作員だとか言えば、それが怒られる、罰せられる、被害に遭う、と思うからそれを回避するため遊びを止めるのだろう、 が、「こいつに」従わなくても一切罪にならない、と悟れば従わぬはず、「誰ですか?」の言葉で子どもも<政治>じゅうぶんにPower Politicsしている、ということ。ただこの「誰ですか?」に「学校の先生ですよ」とか「ウチの人を知ってるんだよ」と嘘つくのは卑怯、素直に 「えっ?、一般市民……」と答えたが意味はわかるまひ。???という顔をする子どもら、とにかく遊びをやめる。「おウチの人は?」と尋ねると珈琲店の隣の テナントである酒場兼ねたダインで食事中。その店の風船持って遊ぶ子どもら、食事終わって坐っていられず遊びに出たような。「だって外に出ちゃダメだって 言うし、ここしかないんだもの」と一人の子。「だけどここは遊び場じゃないよ」と諭すがまた遊び始めようとする子ある。香港の普通の感覚で言ったら、家族 数組で食事に出かけ子どもらに「ショッピングセンターから外に出ちゃダメよ」と言う程度で子どもらだけ食事場所から放出させず。そうでもしてゆっくり食事 したい、となるなら女中同伴で子どもの面倒見せて、か親の一人が付いて何処かで遊ばせようものの、子どもが怪我したり迷子になったり最悪のケース、誘拐さ れたりとか心配しないのだろうか。呆れる。子どもらが買物客の歩行を遮断しても平気で遊んでいる傲慢さも大したものだが、子どもを放置して平気で食事楽し む親も親、この親にしてこの子あり、か。子どもらに「香港だから」なんて傲慢さがないことのみ祈る。七、八人の子どもらいたが反応見ていると人間のタイプ の違いが顕わに出て興味深く、まず怒られると察してそーっと離れていく者、だって○○ちゃんがと他人の所為にして自己弁護する者、できるかぎり無視して遊 びを強行しようとする者、様々。とにかく三人の子が消え去ってしまったことで残った子は怒られそうで対象が絞られてしまったことに諦めたのか一人、二人と 食事場所のほうへと戻ってゆく。当然のことながら誰一人として「わかった」とか「ごめんなさい」など口にもせず。これできっと食事場所に戻りさっき「だっ て○○ちゃんが」と弁明した子が親に「知らないオジサンに怒られて」と話すのだろう。そこで親は子どもに注意するわけもなく(なにせ自らが店出て外で遊ぶ子どもを認知しているのだ)「ほら、怒らーれたぁ!」と他人事のように茶化すのか連れ の者に「おせっかいな日本人っているのね」とでも言うのか。うるさいだけなら元気がいいと思うこともできようが買物客遮断しても平気で遊ぶ子どもらが怪我 もせず迷子にもならず誘拐されず無事戻らせられたことへの認識だど当然あるまひ。帰宅して、書棚が窮屈になっているの見るに見かねて読み終わり処分する 本、数年使わず埃かぶった資料の紙類など片づけ。
▼築地といふ場所柄築地小劇場以来の芝居にも詳しいH君より28日、って今日?、新宿紀伊国屋ホールにて「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」の会 合あり、と。井上ひさし妹尾河童吉田日出子渡辺えりらの参加で、総合司会に勘九郎翁の名が、と。ただし「打診中」、実現すれはついに中村屋反戦闘争 に決起?、前進座ならいざしらず松竹所属の歌舞伎俳優としては歴史的な壮挙、先々代左団次の、といってもお若い方は御存知ないかもしれぬがそのソ連公演以 来の快挙かも知れぬ。この「打診中」、想像できることは、とH君、斎藤憐や飲み仲間の渡辺えり子に頼まれて「おー、やるよやるよ」って返事したのはいいけ ど、いざ出るとなったら「松竹永山社長はじめとしていずれも様方」のご意向気になり、といふところか、と。松竹だし……。H君指摘するに、この反戦集会、 共産党系新劇系から、アングラ、新左翼系までよく網羅されているが加藤剛先生の名が見当たらぬのは不思議、と。確かに。
▼歌舞伎といへば築地H君とのやりとりの中で当代の藤間勘十郎が実は大河ドラマ独眼竜政宗』で「梵天丸も かくありたい」のセリフで評判となった名子役、当時の藤間遼太といったそうな、であることがわかる。余ばかりかH君も知らなかったとは。それを切掛にいろ いろ調べていて昭和33年の俳優祭の 興業内容知る。六世勘十郎振付の『曾我の春駒』は若手総出演で工藤祐経新之助(現・團十郎)、曾我五郎 =中村米吉(五代目歌六)、曾我十郎=亀治郎段四郎)、 朝比奈=尾上左近(初代辰之助)で化粧坂の少将演じる坂東喜の字は今の玉三郎。『宮島のだんまり』が物凄 く、豪華なのは唄=猿之助(初代猿翁)、唄=左團次(三代目)、 三味線=勘三郎、三味線=松緑(初代)、で演じるのが傾城綾衣太夫時蔵(三 代目)、白拍子静の前=福助(七代目芝翫)、清盛=羽左衛門、畠山庄司重忠=勘弥、賤の女 芦江=友右衛門(四代目中村雀右衛門)に九紋竜史進尾上九朗右衛門、東金袈裟太郎=海老蔵(十一代目團十郎)に俳優祭であるから机竜之助=辰巳柳太郎鞍馬天狗島田正吾に藤屋のおむら=藤間紫と奇想天外 な登場人物にずらりと錚々たる役者並ぶ。今では芝翫の十八番となった『年増』は歌右衛門。『勧進帳』は一日目・昼が弁慶=羽左衛門(十七代目)、富樫=段四郎(三代目)に義経=友右衛門(四代目雀右衛門)、夜は弁慶=市川猿之助(初代猿翁)、富樫=海 老蔵(十一代目團十郎)に義経時蔵(四代目)、二日目 は昼が弁慶=松緑、富樫=勘三郎義経左團次(三代目)、夜は弁慶=幸四郎(初代白鸚)、富樫左=勘弥に義経福助(七代目芝翫)と「役者が 揃う」とはまさにこのこと。ちなみにこの俳優蔡のサイト、女物の浴衣のモデルは一瞬若き日の喜の字=玉三郎か、と驚いたがこれは水谷良重(笑)。
▼蔡瀾氏の蘋果日報の随筆連載「煙」なる、愛煙家の氏が二ヶ月に一度は取上げる煙草に関する文章、要は喫煙 者も喫煙のルールを守るなら喫煙自身には自主権があるのであり本人が好きで喫煙していることを「悪」だの「壊」だのと他人が揶揄するな、と、それは道理、 ただ一つ気になることは氏自身も「煙草を吸うなと言われれば、間接喫煙が本当に害があるのかどうかは証明されていないが(本 当に?……富柏村注)、相手の同意がなければ自分は煙草は吸わない」と、これだけ読めば紳士的、だが、実際に、である、蔡瀾氏ともあろう方 を前にして愛煙家の氏が煙草吸おうとした時に「吸わないで」といえるだけの大物が何処にいようか。内心吸われたくないと思っても黙って我慢する。つまり相 手のことを思っているようでも自分と相手との立場には高低があり、そこでこういった主張は力関係が平等でないこと、蔡瀾氏のほうが奔放に振る舞えることは 言うまでもなし。だいたいにおいて立場の強い人ほど自分勝手ができるのが社会というもの。