富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月三十日(木)朝早く街に出ずれば農歴正月を明後日に控え(初二 日日曜日と重なり晦日の明日も振替休日にて実質的に今日が晦日扱い)街すっかり人出なく走る車も少なし。朝遅くなれば小売業だのに勤める人 多ければ街も賑わふが工場、建設現場、古くからの問屋だの学生もすでに暮正月の休みとなり街は静まる。朝刊見ればDan Ryan's(実は明後日の晩の予約、昨日いれる)だのAmaroni'sなど広く料理屋経営する女性、 余も面識あり、湾仔Amaroni'sの店を出たところ何者かに腐食性液体かけられる被害。昨年退職させられた職工不満あり彼女を恨み、それとの関連で警 察は捜査、と。この加害者の男、行方知れずながら腐食性液体を紙コップに入れ、それをこの経営者にかけてから紙コップをゴミ箱に捨てて逃亡、と。ゴミのポ イ捨て罰金罰化から半年にて一刻一秒競って逃げる犯人すらゴミ箱利用とは公共道徳心の浸透著し。笑えぬが、この犯罪、ゴミを路上に捨てたところをゴミ取締 官に捕まり御用、とか、それじゃ三流コントか……。歌手杜徳偉君大麻所持にて警察に拘束された件(12月)来 月公判始るを前に杜君の母でかつての歌姫・張露「息子は煙草すら吸わないのだから」と身の潔白を主張。いかにも事情知らずの発言。確かに大麻も燃やして吸 引できるが煙草とは成分異り煙草ほどニコチン・タールの害悪なし。また大麻なら吸って好し、食べて好し、飲んで好しにて煙草吸わぬ者でも大麻に酔えるだろ うに。母の発言も「息子は煙草のような麻薬の中毒患者でない」といふ意味ととれば正論か、煙草のような麻薬に溺れておらず大麻を吸った程度、と(笑)。晩に晦日のお浄めにとA氏らと北角の寿司加藤。小鰭が美味い。近くに数カ月前に開店したといふ日式らーめん 屋の札幌にてねぎらーめん。
▼フジ産経系のニュースサイトzakzakにて「慎太郎HP、17文字で北朝鮮メッタ斬りすでに100句以 上、傑作ぞろい」と(こちら)。石原 慎太郎君のこのサイト「宣戦布告『NET』で発信 石原慎太 郎」運営するは小 林元喜なる若者(この小林君、時代が時代だったら尊王攘夷であったり全学連であったり、まぁウズウズしていて何 か世界のなかで自分の確固たる位置を見つけたくて、それで石原に飛び入りか……もう少し広く勉強したほうがいい、このままではいいように弄ばれて終り)。 思想信条の自由あり個人がどれだけ北朝鮮罵ろうと勝手だが「傑作」といふには駄作多し。
 コメ支援 送り続けて 核支援 (川柳兄弟)
などは川柳らしいが捻りなく、唯一の傑作は
 金日成 そこのけそこのけ 蓮池とおる (透) (お役人)
か。たんに北朝鮮を侮蔑するのでなく救う会の体質まで見据えている。でも全体として駄作は駄作だし、それを 載せるサイトはセンス悪く、それを傑作と煽て中央政界復帰まで待望するフジ産経の知力の低さ。北朝鮮将軍様も独裁ひどいがフジ産経にて石原をここまで煽 てるのも盲従ぶりはファッショ。それにしても都知事たるもの、個人サイトとはいへここまで隣国を侮辱しなくてもいいと思うが。H君曰く、石原君の北朝鮮へ の怨念とはあれは権力志向の嫉妬であり憎悪ではないか、と。もしかりに石原君が北朝鮮将軍様になっていたら大変な事態も予測されたかも……。それよりこ れを都知事にしている都民の心地こそ不可解。
 首領さまにはおよびもせぬが せめてなりた や放言都知事  (築地H君)
これは川柳というより狂歌かも。ただ23歳の小僧には川柳と狂歌の区別もつくまひ。H君指摘するに川柳にせ よ狂歌にせよ権力者に<対して>発せられるもの、それがわが国の伝統。権力側の文化は和歌という正式なものあり。公職にある者が「風刺川柳」募集し、而も それに嬉々として応じる……これはわが国の民衆文芸の歴史を冒涜する文化破壊行為ではないか?、と。石原君を詰ってこそ狂歌。詰られてこそ権力者。庶民と 一緒に外様を詰るとは……。
▼月本さんが 一言「ナシをつけてからやるのが戦争。外交の一形態」と書いている。そう、これこれ。長い解説など要らぬ、まさにこの一言に戦争の全てが凝縮されている。戦場と指定され たところで戦うから市街銃撃戦はないし一般市民(非戦闘員)も巻き込まれず。日露戦争まではあった戦争の 紳士道。ここまでナシはつけました、だがお互い納得できない、それなら何処かで思う存分戦ってください、と。ある程度決着ついたところで審判が入り戦後交 渉開始、と。サライェヴォにて皇太子きなり暗殺され空爆ありの第一次世界大戦始ったあたりから狂しくなった。弁明にもならぬだろうが日本は中国侵略始めた 時には自軍は戦でなく領土略奪と非戦闘員殺戮始めていても近代戦争といふものを理解しておらず、日清日露のように遠くで戦があるもので、自らに惨禍降りか かるとは思ってもおらず、だったのかも。
朝青龍横綱昇進について書こうと思っていたが月本さんがすでにまとめている。それが御意。朝青龍は 「品格にかなり問題があるこの関取は、しかし本当に強い。面白い相撲をとる」わけで外国人に頼る角界を憂ふ声もあるが「もともと、 江戸時代の相撲は各藩がお抱えの力士を持ち、オーナーたる大名は強いバケモノを所有して戦わせ悦に入っていた。それを大衆は見物し面白がり喝采を送ってい た」のであり、相撲といふもの「バ ケモノの闘いという見世物は、もちろん神への供犠という意味をも持つ。横綱神聖論はそこから出てくるが、別に悪玉でもいいのである。神には品格なんかない のである。人間が神の品格を云々してもしょうがない。あれだけ強いというのはもうあんんたそれだけで神」と。「さあて朝青龍、どうこれから勘違いしていくか、 が見ものである。頑張れ怪物!」と月本氏。まさにその通り。異形ぶりがあってこその横綱。公 家が見物していた当時の力士など言葉通じぬなど当たり前のことで(といふより京の公家と東国の民とだって会話通じぬ時 代)ナヴェツネ牛耳る横綱審議委員会とか横綱の品格とかワケのわからぬことをどうか言わないでいただきたい。月本氏は貴乃花の異形ぶりにつ いても言及されているが昨年五月武蔵丸を優勝決定戦で破っての優勝、余の日剩で「阿修羅の如き」と綴っているが阿修羅かねぶた絵の勇者、つまり人に非ず。