富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月六日(金)薄曇。World Series Racing第七戦、明日のThe Food Island Champion Stakesは五月の新加坡国際に続きDettori騎乗のGranderaか、されどもう一頭選べといわれれればKinane騎乗のHawk Wingあたり来たら面白いか。一日の独逸Baden大賞はDettoriがMarienbardで勝っており二週続くか、が見どころ。もう日本では流行もすぎているのかもしれぬがAbercrombieが衣類は香港にて未だ市販されず網上にて注文せしものが届く。黄昏にジム。なだいなだ『民族という名の宗教』岩波新書読む。91年というソ連と冷戦構造の崩壊の直後の本にてその後の民族紛争激化やアメリカ帝国主義覇権への道など当然触れておらぬが見事に予見し国家並びに民族の虚構性をなだいなだ流にさらりと優しく語る。されど人間の弱さを露出されてしまつたやうなもので、ではいつたい何に縋っていきていけばいいのかとすら思へもするほどながら、結局はそこにあるのは自立した個人以外の何ものでもなし。
▼築地のH君と憶測するに明治33年生まれの五代目福助歌右衛門を襲名して天寿を全うしていれば1980年くらいまでは生きてたわけで子の芝翫歌右衛門襲名が85年くらい。としたら五代目福助「弟」である福助歌右衛門襲名の機会なく玉三郎の如き「異能の女形」として全然べつのポジションにいたのか、とH君。然り。五代目歌右衛門の遺言は自らの直系血縁者でなければ「児太郎−福助芝翫歌右衛門」の襲名は絶対認めないと宣い、それを曲げて六代目歌右衛門は自らの養子である福之助に福助を襲名させている。この福助梅玉襲名で福助の名は直系である芝翫の子・児太郎が襲名し「本家」に返上と相成ったものの梨園ゆえの複雑な絡みあり面白し。
▼康夫チャン知事としての再初登庁の挨拶にて曰く「(略)この長野県には4万人を超える、外国籍をお持ちになられる方々もおり、そのことを思えば、私たちは市町村民や長野県民や国民という概念をさらに越えて、まさに日本という国家ではなく、日本という社会、長野県という県を超えた長野県という社会を、まさに市民によって真の意味で市民の意思が反映される、また市民の努力が報われる、私は社会を皆様とご一緒に形をつくってまりたいと思っております」と。国家や行政体ありき、という概念でなくそういった権力機構の範疇を超越した社会なるものを自治していこう、という誠に正論なり。