富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月二十七日(火)薄曇。築地のH君よりいつものやうに重要なる示唆あり。NHKで改めて「俊寛」を観たがこの芝居とは何なのか、と。中学の教科書にすら載り「ヤレ乗せてゆけ具してゆけ僧都おめきさけべども漕ぎゆく船のならいにてあとは白波ばかりなり」とH君さらりと暗誦せしセリフ有名だが改めて考えてみると「俊寛はどうしてそんなに都に帰りたいのか」と。都は平氏の天下、妻子は平氏の手で処刑され、鹿ケ谷では「国を誤る逆賊」として平氏追討を謀った俊寛は「僧都」で俗人ではなし。妻子の菩提を弔いながら島民に仏の道を説く余生に何の不満があろうかい、とH君。それが幕切れで見せる俊寛のあの取り乱し。確かに。この俊寛、確か先代の高麗屋(白鴎)で見た記憶があるが当代では勘九郎播磨屋、ミュージカル仕立てで高麗屋!といったところか、いずれにしても誰がやってもあまり面白い芝居でなし。それがH君の指摘の通り海外に歌舞伎もってくと、だいたい「身替座禅」か「俊寛」で「身替座禅」は真に普遍的なコメディだとしても「俊寛」は解釈が立ち過ぎて歌舞伎らしさがない、とH君。猿翁のソビエト公演で受けて以来のことだろうがこの「俊寛」に悲劇とか苦悩とか英雄性を見出して、それをその近代的解釈で高麗屋(当代)がするのだからこれは凄いことになってしまう。ふと思えば猿翁がソ連でやったことを思えばわが国ではピンとこない芝居も思想犯で刑務所や思想改造所に送られたソ連であればこの「俊寛」はどんなひどい都であれ「帰りたい!」と思う点でソ連人民の心をとらえたのかもしれず、と言うと、H君より河竹登志夫先生の本に当時のソビエト批評家こぞって絶賛と紹介されていたそうで、猿翁の訪ソはフルシチョフ時代の「雪解け」だったからこそ「俊寛」がスターリン時代の悪夢を描いたように思われたのか、いずれにせよ俊寛を誉めた批評家はブレジネフ時代は全員シベリア流刑で俊寛の心情を噛み締めたことでしょうか、とH君。さもありなむ。NHKといへば今晩よりCable-TVが新しく始めたNHKワールドプレミアムなる放映を看れるサービスに加入す。引越し前のマンションもNHKワールドの衛星放送はみれたがこれは無料のワールドサービスにてドラマだの娯楽番組、海外中継のスポーツなどは全くなし。これに対して有料のプレミアムは月HK$128の追加料金を払うが相撲、プロ野球、朝の連ドラから大河ドラマまでまぁNHKの総合テレビが一通り映る。インターネットが自由自在になった数年前も驚いたが朝日など衛星版の新聞が朝配達になる数年前の神戸の地震は大型のパラボラアンテナを備えた一部の高級マンションがNHKのBSを映して以外に夕方の新聞配達までなんの情報もなく、それより数年前の湾岸戦争の当時は短波ラジオにてラジオジャパンの放送を聞いていたのがわずか十年前と思うとこの十年の情報通信の変化は余りに大きいもの。ふたたびH君と語りかのM先生が所属するレコード会社に民族差別ありと訴えた云々といふ話題となりM先生には同時多発テロに対して世界平和を歌う企画が「絡んでいる制作者」に問題ありとかで頓挫したりもして、その制作者が彼の国のShowBizを仕切る×××のオカマなんだそうで、と言えばH君曰く彼の国に於て古典的に××差別する時はその性的能力を野獣のように喩へ××差別する時は同性愛に耽る変態などと喩へることを思えば「児童愛とかかなり際どいご趣味で肌の白い黒人」である而も整形失敗といふM先生は近代が生んだ最後のトリックスター?といふ考察も適ふか、と。これもさもありなむ。