富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月二十七日(月)快晴。黄昏に某氏に誘われDeep Water BayのHK Golf Clubのバーにて一酌。ゴルフに興味などもなくましてや香港を代表する倶楽部など縁もなし。さすがに格式ある倶楽部にてバーも心地よし。我がウヰスキーのコレクションはさすがにマンダリンオリエンタルホテルのチナリーバーには到底敵わぬがこの倶楽部のバーよりになら品ぞろえ負けず。バーの椅子席、ソファはゆったりしたものが壁側の作りつけの席は腰掛け程度にしか奥行きがなく、寛ぐにはとても窮屈にて、ふとこれは正装のご婦人が壁を背に背筋をしゃんと伸ばして坐りバーを眺める位置と察す。荷風日記昭和六年から七年に読み進む。荷風散人「つゆのあとさき」稿了しお歌の癪が原因で数年に及ぶ関係が破局迎え、散人ふらりふらりと墨東へと足を向ける。名士もおらず豪邸もなきその一帯が隠遁の生活には適しているかと思い墨東に毎日のように足を向け始めこれが墨東奇譚を生むこととなるのだが昭和七年に入ると世の中かなりキナ臭くなり軍部の独走に言論の自由もなくなるかと憂いつつ鮮満からシナへと拡大する帝国の進攻は語らず散人は墨東のうらぶれた娼家へと浸る。政局不安定、不景気、異常気象、歌舞伎座の客席に蛇が投げ入れ銀座で恐喝がありと社会道徳もなく……まさにキョービの如し。▼神奈川県相模原市内の県立高校の校長が卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱をめぐり「個人として妨害する」と発言した1人の生徒を県教委への国旗国歌の実施状況報告で「2年生男子生徒に過激な発言をする生徒がおり説得に時間を要した」と県教育委員会に報告。この報告を情報公開で知ったこの元高校生が個人的に行動すると発言しただけで妨害の意思がないことは伝えた。校長の誤解だ」と県教委に訂正を請求したが県教委が拒否したため県個人情報保護審査会へ異議を申し立て同会が「人権上の問題を引き起こす可能性がある。校長の裁量の範囲内として許容される妥当な記載内容とは認め難い」として「削除すべきだ」との答申を出したが県教委の清水進一教育部長は「答申は尊重するが、検討してから結論を出したい」と話している。……校長も校長なら教委も教委。本来生徒を官憲から守るべき立場にある校長がたかだか国旗国歌に異議申し立てした程度の生徒を過激異端児として権力に突きだすとは。この校長も教委も所詮は国旗国歌が滞りなくいかなければ自責となることへの保身のみ。そして平和ボケ、思想ボケ、判断力欠如しているこの校長や教委という「大人たち」にとってこの生徒の本人の考察としての正論、<権力>への反論の存在すら認められぬ了見の狭さよ。これが教育では、もう終わってしまっている。少なくても戦前にあっては治安維持法であるとか国体護持といった大義こそあれ旧制中学、高校にあっては反骨であるとか学問の自由を尊ぶ精神というものがたとへ公には出せぬにしても校長の了見の範疇に存在したのではあるまひか。その精神が自立とした自己としての江戸英雄であるとか(世代の最後でいへば)後藤田正晴といった<個人>を生んでいるはず。キョービのこの思惟なき隷従としての教育体制ではそういった<個人>すら生めないのである。後藤田正晴君ならば建設的意義なき国家転覆を企図したテロなどには徹底して立ち向かうだろうが一学生が本人の思惟にて国旗国家に疑問を呈した程度でその学生をおカミに報告するような野暮なことはすまひ。▼来月の国立劇場橋之助の「俊寛」に中村芝のぶちゃんが千鳥役に大抜擢、と築地のH君より朗報。橋之助曰く「父の千鳥も好きでしたので、芝のぶには父のやり方をしてもらいます。千鳥もみものになると思いますよ」。芝のぶといへばもう十数年も前に稚魚の会だの若手の勉強会の頃から舞台を見ていた養成所出身の若手にて芝翫田之助といった古風な女形の芸を継承できる役者。千鳥、乞ご期待。