富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月二十五日(木)小雨。いざ上網せんとすれば僅か小一時間のことなれどなかなかせぬままに放り放しの過去文章上網漸く週刊香港にて連載の香港徒然外食のうち後半並びに昨年春に特集綴りし『Nikkei Gallary 』誌の『プレ97の興奮とポスト97の憂鬱』上網。ついでに90年に尖閣列島問題が日中台の俎上にあった当時我が拙文が当時香港中文大学文化人類学系にいらした陳其南先生の目に止り当時先生主輯をされていた台湾の学術月刊誌『當代』に先生の勧めにて中訳され掲載された『釣魚台事件看日本的政治外交』も上網。陳先生といへば蒋経国治世下反政府分子として国外逃亡せねばならぬほどの政治的背景なきものの台湾の重き空気逃れ香港に過ごし台湾の碩学ながら隠遁されていたようなもの、ただし今思えば知性を発揮するための充電期間か李登輝総統として基盤を強固にしつつあった90年代初頭台湾に戻り国立芸術学院教授、国立交通大学人文社会学院院長などを務め阿扁総統になると国策顧問として民新党政府に係わり現在は政府中枢の行政院政務委員。この要職は総統の実質的な政策決定組織(総統指名の7名から成る)もので部長(内閣大臣)の上に位置するもの。余や現・翻訳個体戸S君を誘われ沙田の安い中華料理屋にて麦酒飲みつつ文化談義されていた当時懐かしき。太古城にて藪用済ませ小雨にて気温下がり散歩も苦にならぬ涼風。シティプラザ外の人影まばらな地上に人混みあり何かと見てみれば翡翠拉麺小籠包(Crystal Jade)の外に午後八時過ぎといふのに三、四十名の待ち客あり。罵詈すれば坦々麺界のすかいら〜くにて麺こそ店にて大陸職人の手打ちを売り物にするもののスープも出汁旨味ががきくわけでもなく坦々どころか淡々とした出来合の麺にて何故に此処にこれほど客が集まるのか怪訝に思いつつぐるりと太古城の海側裏手に回れば十年近く前銅鑼湾廣場にて繁盛せし日本料理の稲穂亭あり更にQuarry Bayの太古坊の新興オフィス街も最も端の海沿いには耕(こう)なる日本料理屋まであり流石に昼時こそ太古坊のビジネス客で繁盛しようが夜はとても賑わわず。Quarry Bayの粗呆地区にてなにが食さんと思えども料理屋こそ並ぶもののこれといった店なく唯一、麗江邨なる上海小食は面にまで客待ち入れずかつて一度だけ入った京城水餃拉麺にて韭菜猪肉餃麺。餃子は客の注文受けて作るが店の売りながら餃子とは作って冷蔵庫に寝かせたほうが美味いのでは。そこまでする専門店気取りながら店員はテレビのドラマ、六合彩の抽選に熱心にて呆れる。食べ足りず麗江邨客待ちなく更に排骨麺食す。殊更美味いといふわけではないが上海訛りのおばちゃんたちにて切盛りする店は繁盛、じつに家庭的な定食屋にて好し。