富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月三十一日(日)小雨。香港映画祭にて『日本鬼子』(松井稔/2001)。日本軍の中国での侵略戦争を語る上で加害者の立場であった元兵士の証言として貴重なフィルム、但し14名の証言者全員がかつての残虐を後世に伝えようと決心した人たちであるから語るのであり、看ながら思いだしたのは奥崎謙三氏の『ゆきゆきて神軍』(原一男/1987)、奥崎がかつての上官を尋ねそこで当時の事実を叱責するのだが家族にも戦争の時の出来事を語ってはいない彼らが狼狽し震える事実に比べると、その時折照れ笑いしながら語る饒舌ぶりはかなり目立つ。尖沙咀の見城にて寿司。寿司ネタでは香港でも格別、ただしシャリが炊き具合も冷まし方も握り方も緩いのは気になるところ。カウンターで野暮な若いアベックがコーラ飲みながら置き煙草で寿司食ひかなり不快な思ひする。テメーらは回転寿司でも行け!といいたいが喫煙をさせぬ回転寿司は悧く強ち蔑ろに出来ず。高い客単価に応じることができれば反吐が出そうなウニ、トロ、コーラ、サーモンのどんな客でも上客に扱われる<文化>を容してしまった寿司業界の責任は少なからず。ペニンシュラホテルのバーで次の映画の上映まで飲もうと(Z嬢と)ペニンシュラホテルのバーに行く途中で葉巻購いにシェラトンホテルの葉巻屋に寄ると粗呆区の葉巻屋と同じ経営にて顔見知りのマネージャー居合せ閉店していたが招き入れてくれPartagas勧められ確かに納得の芳香。ペニンシュラのバー、日曜の夜にて他に客一組のみ。夜二更より『リリーシュシュのすべて』(岩井俊二/2001)は今回の映画祭でいちばん観たかった作品。この時間に香港文化中心の大ホールが満席になること、客は香港人ばかりか西洋人まで民族を越えて岩井俊二の映画に共鳴している。若者はいつの時代も未知にてそれはいいとして、善良だが無力の存在としてのみ描かれる教師、ワイドショーの話題にしか興味ない親、援助交際の客としてでしか描かれないさういふ大人たちの酷さ……そればかり気になって見てしまった。やっぱりいい映画。ただ私は個人的にそのリリーシュシュなるミュージシャンがいいと思えなかった(笑)。ところで物語ではエーテルについて中学生が語るが彼らも講談社ブルーバックスとか読んでエーテルとかエントロピーとかマクスウェルの悪魔とかから何か感じたんだろうか? とても読んでいるとは思えぬが。一瞬、今どきの若者は……と思ったが、ふと思えばインターネットでチャットこそしなかったが私らだってあの世代で「相対性理論の世界になると鏡に自分の姿が写らないんだって」とかブルーバックスで読んださういふ話をしながらELPを聞いていたのだから、さういふ意味では若者がヘンであることはいつの時代でも同じはず。ただ違いは大人が元気だったかどうか。映像がかなり気になってどんなレンズで撮ってどんな照明でどんな編集がされているのかと思って帰宅して調べたらこれ、納得。