富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月七日(木)晴。終日病院。T医師の診断では三半規管が不調というがいわれてみれば前から走る時には首が左に傾いでおりバランスが悪いのは靴底の減りが右靴が極端に減ることからも明白なる事実にて納得。病室にて何もすることなく朝早くHappy Valleyのトラム站にていつもの新聞三紙購いこれまでにないほど熟読。Z嬢より差し入れにて南條竹則『満漢全席』読了。エッセイ全盛期の躁モードの北杜夫が書いたらさぞや面白い話と思う。文章がルポなのか随筆なのか小説なのか散漫。昼には『大勝』出て週末の予想。関曠野『民族とは何か』講談社現代新書も読了。元共同通信の一流の書き手だけありきちんと理路整然とした書きっぷりにて読み捗る。たんに民族主義などどーしようもない、という理屈にならず民族主義に到る必然性を説きその上で本来の民族主義(そこいらの下衆な右翼、保守政治家のいふ民族主義にあらず!)なき日本は、という問いかけをし、明治維新、1945年と二度に及ぶ大変革の機会がありながら明治維新では共和制に移行せず討幕派が天皇を担ぎ出し王政復古なることをし、1945年には軍部こそ一掃されたが官僚が残り財閥が残りと結局は大改革の機会を逸し今日の日本に至っており、日本に民族なるものを形成するためには憲法改正が必須、と(ここは驚いたものの)但しいわゆる保守反動の占領憲法改正でもなく左翼の箇条主義的は護憲でもなく関のいう憲法改正は確かに一理あるのだが、問題は明治維新でもそうだが福沢諭吉中江兆民といった碩学こそ居れども果たして日本に立憲主義まで届くだけの政治的アイデンティティがあったのかは難しいところ。もちろん「ええじゃないか」的な幕末のエネルギーに仏蘭西の市民革命的な市井の熱気こそあれ、である。