富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月二十八日(木)曇。八年ほど前に仕事同僚のS氏とO嬢が結婚し再び来港にて当時の知古たるI氏を交え尖沙咀の見城。昨日の競馬で勝利した馬主による招待らしくカウンターに調教師告逹理氏。尖沙咀の奥まった路地ながら駐車可にて並ぶ高級車を見れば当然のことながら商界芸能の上客多く賑わう。主人の気風のいい板前振りは当然として女給のきびきびした接客も好感。刺身もネタのよさは香港屈指と。Domonにて葱ラーメン。かつてのDelaneysであるOxford Circusなるパブにてギネス飲む。▼Far Eastern Economic Review誌にかつてはMr Yenと称され大蔵省から慶応大教授に転じた榊原氏のインタビューあり氏曰く小泉改革が推進することは結果的には自民党改革であってポスト小泉の自民党を多少強靱にすることで終わるであろう、と。日本経済のエキスパートたる氏が中国には戦略と指導力があるが日本の問題は戦略がなかったことと強靱なリーダーシップがないことと嘆く。どうしようもあるまい。終わっている。そのような経済環境でサッカーのワールドカップ開催でこれが景気回復の起爆剤になるような楽観的な予感があることについて同誌別記事は日本が長野オリンピックにて過剰な会場施設建設と開催以降の稀利用がモントリオールの轍を踏む結果に終わったことを反省せず今回もワールドカップで日韓あわせて20もの四万人規模の施設建設をしておりこれはフランスが98年大会にてわずか1つの新設、94年の合衆国では既存施設利用で終わったのに比べ公共事業投資は一時的にあってもその後の施設維持のコストを考えれば無駄も当然、同じ公共事業投資を本来はもっと実際のインフラに投資しなければならない、と。ましてや観光事業としての外貨収入などたかが知れているのは明白。▼築地のH君より便りあり音羽屋の辰之助君の松緑襲名興行は……それにしても先代の辰之助など松緑がまだ存命であったからあれだけの役者でありながら松緑を襲名する前に天逝してしまつたわけで、いいのだうか辰之助君のこの松緑襲名があっても……六月の「蘭平物狂」の奴蘭平と「船弁慶」静香御前と知盛の霊というのはこれはまだ許せるとしても、である、それに先立つ五月は(つまり本当の意味での襲名興行は)「千本桜」川連法眼館の忠信と狐と「勧進帳」弁慶!。H君曰く通常の神経(つまり普通の、自分の技量を知った役者)ならこの演目に堪え兼ねて自殺するね、と。歌舞伎座で大役も大役である忠信、弁慶をいっぺんにするとは……しかも「勧進帳」は三之助ではなく(新之助菊之助に食われてしまっては襲名披露にならぬ)たぶん旧三之助で菊五郎義経団十郎の富樫?。これなら父代りの音羽屋のおじさんと成田屋のおじさんが後見ということで筋が通る、か。それにしてもH君曰く浅草公会堂ならまだしも、歌舞伎座だよ。か・ぶ・き・ざ。