富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月十九日(火)快晴。週末に香港マラソンあり摂生をと日暮れにBowen Rd走る。さすがに年に一度のマラソンを控えてか遅くなるほど走行者多し。往路時計伸びずと思えばかなりの向かい風で私ほどのスプリンターとなると風もかなり時計に影響すると思ったが当然復路は追い風となりLenny Kravitz聴きながら46秒53と私にしては調教の時計としては好タイム。往復8kmのコースで今日も香港一の英国人Michael君に遭遇するが私にとっての復路5km、彼は丁度往路3kmでこのままでは絶対にゴール手前で抜かされると思い多少力んだのも事実、ついでにと彼のRobinson Rdのマンションまで抜かされるようにとBowen Rdを出てからも走り遂に抜かれず感動するがMichael君がBowen Rdの端Adventist Hospital下で折り返した保証はなし(笑)。▼本日董建華香港特別行政区行政長官の続投が決定する運び誠に御目出度き事なり。中共独裁下にて香港村長は如何に選出されるかといえば選挙人による間接選挙にて(但し米国大統領選挙のやうに民意を反映する間接選挙に非ず……といっても米国大統領選挙じたい茶番ではあるが)それを学級委員選挙にたとえれば40名の学級児童(選挙人)が学級委員長選びし場合まず立候補するにあたっては最低児童4名の推薦を要す。それを得た候補者による選挙は誠に民主的ではあるが問題はこの学校の母体が或るカルト宗教団体にて児童も全員が信者という状況なり。そこでかりにこのカルト宗教を非難する者が立候補しようとしても4名の推薦人すら得ることは難し。董君すでに36名ほどの推薦を得る。これにてすでに次期学級委員長は董君と確定。まことに目出度き「選挙」なりけり。民主党党首季銘柱氏が述べる通り董君以外が行政長官になった場合誰も董君以上の治世をすることは「現体制下にあっては」不可能であり董君に対抗することよりも現体制の政治環境の改善を要す、と。董君が立候補手続き終えての記者会見を晩にテレビ報道で見て思ったが、誤解に基づくのだがあの自信、あの使命感に敬服。通常の神経の持ち主では北京政府の加護の下にてここまで自信ももてず使命感ももてず寧ろ自律神経失調症に悩むはず。それをこの健全さでおられるだけでも並大抵の神経の持ち主ではなし。さういふ意味ではこれ以上の適任者はなし、か。日本でいえば敗戦の空白にて「あー誰でもいいから誰かいないか」と首相を選び幣原喜重郎となりその幣原は当然のことながら臣茂君の登場までのリリーフだったのだがその幣原が自信をもって十年にわたり首相を務めるようなもの。立法会議員の民主派薇姐が悲観的な笑顔にて曰く「少なくとも2007年の行政長官直接選挙と翌08年の立法会議員直選実施の確約を提示して董建華が自分への支持表明を求めてきたこと「だけでも」評価して私は董建華の支持にまわる」。御意。いま北京政府に楯突くような村長表れれば北京政府の逆鱗に触れ2007年以降の政治体制に支障になるだけ、か。つまり香港返還は1997年などどーでもいいのであって注目すべきは返還から10年経っての2007年にあるといふこと。▼ブッシュ君小泉君は権八西麻布店にて会食。ロンヤスの中曽根大勲位日の出山荘のほうがまだマシか。居酒屋系でもカーター大統領が好物の焼き鳥を食い笹正宗を飲んだ六本木の串八のほうがいいと思うのだが権八は気分はまだバブルの空間プロデュースにて小泉君らしいといえば小泉君らしき雰囲気酔い。香港でいえば客を水上レストラン珍寶や美心Maximチェーンのレストランに連れていくようなもの。▼浅間山荘事件から三〇年。あの日二月なのに天気よく暖かい日だった。小学校終わり家に変えると月曜日で店が休みの日で(といってもいつもなら何か身体を動かしており茶の間に坐っていることなどなき)父が茶の間でテレビの前で神妙な表情。数年前にカラーになっていたテレビを見れば浅間山荘。若い頃警視庁巡査だった父は床屋でもテレビ中継を見続け家に帰ってきてもテレビに釘付け。あれから三〇年。当時が懐かしく父にファクスすると返事あり横浜ドリームランドも閉園と。子供の頃に夢の世界だった大船駅からのモノレールが廃桁となり駅前のターミナルが朽ちているのを見て愕然としたのが八十年代のバブルの頃。ドリームランドがなくなってもなぜせめてインターネットだけでも公式サイトを歴史として遺さないのか残念。