富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月八日(火)晴。佐敦にて薮用済ませ二更にY氏と西貢街の客家料理屋酔瓊樓、鹽局鶏、梅葉香口肉、八珍豆腐。A氏より『声に出し読みたい日本語』斎藤孝草思社)借りる。巻頭は黙阿弥にて弁天小僧の「知らざあ言って聞かせやしょう」だが「年季勤めの児ヶ淵」だの「若衆の美人局」だのとあり口語訳が必要なのもわかるが訳が「寺の稚児勤め」だの「男色の美人局」では説明になっているようでキョービでは意味通じず、か、ただし具体的に説明すればとても声に出して読めず(笑)。声に出して読ませるための意図とは判るが句点頗る多く読みづらし。漢詩にて王維、孟浩然、李白は漢語を普通話にて読んでも音は十分に響きものの当然のことながら般若心経は現代秦普通話の発音にては日本語の漢字読み以上に原音の響きが損なわれ寧ろ広東語読みすると日本語以上に原音的、底から沸き上がってくるような響きあることを知る。広東語にての佛経CD購おうと思う。荷風の『震災』を改めて何度も読む。
永井荷風『震災』今の世のわかき人々われにな問いそ今の世とまた来る時代の芸術を。われは明治の児ならずや。その文化歴史となりて葬られし時わが青春の夢もまた消えにけり。団菊はしをれて桜癡は散りにき。一葉落ちて紅葉は枯れ緑雨の声も亦絶えたりき。円朝も去れり紫朝も去れり。わが感激の泉とくに枯れたり。或年大地俄にゆらめき火は都を燬きぬ。柳村先生既になく鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。江戸文化の名残烟となりぬ。明治の文化また灰となりぬ。今の世のわかき人々我にな語りそ今の世とまた来む時代の芸術を。くもりし眼鏡ふくとてもわれ今何をか見得べき。われは明治の児ならずや。去りし明治の世の児ならずや。
今の世では「われにな問いそ」など「我に問え!」と読まれてしまふか。「な…そ」が強い打ち消し命令であると福島の勿来の関を例に朝廷側が東の蕃人に「絶対に来るな」という意味で「なこそ!」と名づけたと教えてくれし高校の古典の教師の顔を思い出す。▼第二世代のi-Mac発売される。絶望。あれならただの液晶モニタ買ってCPUはどこかに隠すほうがよっぽどきれい。i-Cubeのほうが断然いいデザインだった。