富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月九日(日)雨。プラモデルの箱絵の巨匠小松崎茂氏死去。サンダーバードの箱が印象深い小松崎氏の絵は商品宣伝が目的なるプラモの箱においてやたら背景の図柄うるさく(笑)商品が箱絵の勇壮なる一大絵巻の一部と化してしまう点でかなり特異なもの。あれを許したバンダイ?かメーカーは偉い。今になりあの絵にワーグナーがよく似合うと思う。午後よりZ嬢と深セン深センに向かう途中KCR車内にて原則として国内持ち込み禁止の香港紙に急ぎ目を通せばSouth Chinaについ数週間前までFar Eastern Economic Review誌で長く政治コラムを執筆しFrank Ching氏のコラムあり台湾の政治について述べるがおそらくこのChing氏は秦那人の中で最も冷静に台湾を眺め語ることのできる識者。香港政庁は中国から短期居留ビザで香港を訪れビザ失効しても居座る居留権なき子女に初等教育を受けさせず、その数170名に及ぶ。その多くは父親が香港人にて大陸に住まう母に生まれた子たち。香港政府の言い分は子女の教育を受ける権利も重要ながら居留権がない子女に教育を施すことは居留に関する条例の定めるところを蔑ろにすることになる、と。これに対して香港のカソリック教会が司長名にて香港内のカソリック学校にこれら子女を受入れるよう要請という美談。香港政府の主張はそれの良心的良否は別として従法上は当然の判断にてかりに特例措置とすれば居留に関しての規定など悉く廃されるもの。そもそも学校における初等教育なるものは(江戸時代の塾や寺子屋に非ず学校なるモノ)近代の国民国家建設にあたり国家が<民族>を演出するために創造した国語、国歌、国旗、戦没者記念碑などと同じ象徴にて近代国家の経営による学校は国語教育と歴史教育を用いて臣民や信徒に変わる国民産出する装置(藤田弘夫『都市の論理』やフーコーの一連の著作に述べられた通り)。学校に行かせることの深き意味はここにあり。そしてそこから弾かれた者を受入れたのが近代国家成立以前からこの世に在る教会なる装置であることも意味深し。深センに入り商業城内の某按摩。この業界四十五分を一時間と云うが習わしにて九十分の按摩の意味で二個鐘と伝え老師傳に昨日の事伝え筋肉硬直を解しつつ按摩されればどうも時間が長く感ず。ふと気づけばZ嬢と待ちあわせした時間などトウに過ぎたり。尋ねれば一時間は正味一時間のサービスと。嬉し悲しやZ嬢と待ちあわせのシャングリラホテルに雨中走る。タクシーで鳳凰路まで飛ばし老成都酒樓。深センに石を投げればサウナと四川料理屋に当たる中でもはや老舗の老成都。味は童子鷄湯が秀逸で給仕の服務態度は絶賛するべき礼儀正しさと温かさ。こういう店が真っ当なのだと感心する。脱帽。向田邦子『思い出トランプ』読む。向田邦子の小説を読むのは初めて。短編の構成の巧さはさすが向田、行間の冴えも言葉なし。ただストーリーじたいのできすぎはやはりテレビドラマ出身、テレビだとあのくらいじゃないとダメなんだろうが小説だとエログロすぎないか、と思えばZ嬢曰くほとんど兄弟姉妹に親友に絡む実話を題材に、と。合点。