富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月三十日(木)週刊香港の草稿。午後大雨。大陸に渡り尖沙咀のジム。日曜日の競馬、今シーズンの開幕戦、出走馬の発表。行政長官盃にて二年前のこのレースでの優勝を最後に故障して休養していた京城之寶(KingstonTreasure)が復活、115磅背負って韋達騎乗の1枠。『大勝』で予想少し始める。建物の野暮さでは香港中央図書館に勝る香港歴史博物館の常設展<香港故事>がHK$900Mを浪費し完成、本日公開さるる。四億年前の地質歴史から説き起こし(笑)石器時代の人類へと、これはどこの博物館でみても猿人が焚火しているだけで面白くもなんともないが、公開と同時に新聞は酷評ばかり。『信報』で館長・丁新豹がインタビューに答え「香港の昔語りは香港人が語るべき」「ずっと我々みんなは中国人であり、だから香港の昔語りも香港の中国人から語られるべき」と、歴史をその民族で語ろうという狭い視野、しかも香港で中国を強調する的外れ、これじゃもう落第。歴史は他民族が勝手に語るからこそ面白いもの。同じ紙で劉健威が「現実は博物館に入った段階で歴史となって葬り去られる」「こんなことにHK$9億も浪費するなら何故に街中の古い建築物、街並みを残さないのか」と、上環の潮州街を彷彿し、まさに劉の言う通り。かつて九龍公園に在った小さな洋館の歴史博物館はあれでじゅうぶん素晴らしいものだった。歴史博物館なら澳門マカオ)の城塞の中を掘って作った建物なき博物館こそ白眉、歴史を辿りフロアを上っていくと最後に城塞の上にポンと放り出され今日の澳門市街を眺望するあの素晴らしさ。香港歴史博物館の巨大な陳腐な幼稚園のような中庭とは雲泥の差。ちなみに南華早報は博物館批評の専門家を連れての取材を博物館側に拒否される、理由は「博物館の評価は観衆がする」と。つい数カ月前中央図書館の中を行列で御練りしていたあの市民が歴史博物館を評価するのか(笑)