富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月十日(火)快晴。朝朝日朝刊を見れば羽左衛門丈の訃報記事「歌舞伎立ち役(男役)のトップで……」と始まり仰天。朝日が歌舞伎でこの品のない書き振りに朝日に物申す。

朝日新聞東京本社広報部御中
7月10日の朝日新聞社会面に掲載されております市村羽左衛門丈弔報について、御質問させていただきます。
記事は「歌舞伎立ち役(男役)のトップで……」と始りますが、歌舞伎に立ち役というのは女形女方、おんながた、おやま)に対して存在します位置づけ、役柄として存在しておりますが、立ち役のことを男役というのは私は聞いたことがございません。男役というのは新派にて明治の名優が喜多村緑郎女形でありながら男役でもすぐれていたとか、花柳章太郎水谷八重子に対しての男役で一世を風靡したとか、そういう使い方もありますが、今では宝塚において女優が男役を演じる場合に男役という使い方が一般的です。また「トップ」という言葉もこれも宝塚用語です。歌舞伎で、歌右衛門は女役のトップ、とか、六代目(菊五郎)は戦前のトップとか言いますでしょうか。言いません。しかも17代目羽左衛門という素晴らしい役者の訃報において、その書き出しで(男役)のトップで」とは誠に品のない表現、書いた記者も記者ならそれを載せた朝日新聞の見識を疑わざるを得ません。やはり「歌舞伎界の重鎮、戦前の菊五郎劇団から平成の若手の台頭までを堅実な芸風とその広い博識で支え、その人柄も慕われ続けた……」とか、そういう表現がされるべきではないでしょうか。いかがでしょうか、是非、朝日新聞としてのご意見をお聞かせいただきたくご一報さしあげた次第でございます。(以上)

教科書問題、日本政府中韓よりの記述修正に対し多くの指摘点につき「明白な誤りとは言えず、制度上訂正させられない」と両国の理解を求めたり。「明白な誤りとはいえぬ」という言葉美しき日本語なれど(笑)こういった表現じたい美徳なき海外の蛮民には理解できぬ事を理解せぬ美徳の民よ、蕃人には誤りなのか誤りでないのか判らず。わが国を正しいと主張してこそ美しき国家主義、この逃げ口上こそ日本らしき愚態。「制度上訂正させられない」も逃げ口上、それなら制度を訂正せよと思うは蛮民の愚考、それは憲法違反と憲法を尊重もせぬ輩にかぎり今度は憲法を盾に逃げ口上。フジ産経が歴史教科書を流布すれば盟友・読売新聞日本政府のこの回答を社説にて「過不足のない、誠意ある回答」と誉めるも醜悪。どこが過不足なく、どこに誠意ありしか。相手国に対してちょいと相手の言う事を聞かず自らの主張を曖昧な表現にしてみただけでのこの喜びやう、天晴れ日本、この程度で『Noといえる日本』か、アジアの孤児。ジムナジウムにて筋力鍛練のクラス終わりついそのまま場に次なるBody Jamなるクラス内容わからぬまま居残れば柔軟運動終ると突然に郭富城の曲かかり振り付けを一つ一つ細かに教られ恥ずかしきかな退場するわけにもいかず丸々一曲の振り付けを覚えたり。