富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月二十五日(金)晴。合州国は紐育州井坂村字コーネル大学より香港に夏休みで帰省しI君、それに来港1カ月余にしては肝の坐ったS嬢それにZ嬢と銅鑼湾は益新飯店にて晩餐。I君もあと一年にて大学も修了、前途を祈る。コーネル大学でも日本のアニメ、殊に宮崎駿作品はかなり人気あるとI君、余は『耳をすませば』を採り上げ、聖蹟桜ヶ丘界隈の背景のみやたら緻密に描く作品だが聖蹟桜ヶ丘界隈で女の子と密室で二人だけになってもバイオリンの製作に情熱を語りバイオリンを弾いてみせる15歳男子など絵空事、通常は興奮してバイオリンの弦を押さえし指も震え演奏どころでなきが真実と思ひ、それを隠して美談を作るアニメとは如何なものか疑問を覚え、橋本治の『桃尻娘』こそアニメになるべき作品と思ふ。鶏は香港より過剰反応のウイルス騒動で香港より絶滅、辛うじてウイルス騒ぎ以前の鶏肉あり西檸鶏、それに煙鮭魚と通菜、葡汁豆腐とで相変わらず安定した益新の味。最近銅鑼湾での定番にて南華會のRoof Barにて歓談。いつもゴルフ練習場が終わり少年たちがボールを掃くのを眺めながら練習場の水銀灯が消えるまで。かなり風水のよい南華會、銅鑼湾にてこれだけ風が抜けるのも不思議な場所なり。
夏風も心に涼し南華會
毎晩少しずつ読み進めし荷風日剩、昨晩遂に大正12年9月1日を迎えたり。半年ほど前より異常気象と地震が続きしこと荷風散人は綴り、後世にて震災を知る者が読むには余りに怖きもの。しかし荷風散人、正午の震災のあと山形ホテルにて悠々と晝餉をなさむと赴き麻布の高台より市中東北災禍を「観望し」とは……老母はじめ縁者の安否を綴るでもなく淡々とした筆致に驚くばかり。9月4日の「以下略」は「朝鮮人暴動」の醜聞かと察す。実は震災に狂い暴動せしは同胞なりしものを。