富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

加藤周一氏講演会「日本の『転向』なる文化」

三月十二日(月)午前、中文大にて「二零零零至二零零一年度傑出人文學者訪問計劃」にて中文大に滞在中の加藤周一氏の講演会「日本の『転向』なる文化」、英語での講演にて "Conversionary" がそもそもキリスト教的な背景のある言葉で、それがマルクス主義から国粋主義への転向という狭義、そして今日講演する転向はもっと広義で戦後の日本がUniversalismをとらず日本主義となる綿々と日本を流れる継続性、その観念ideologyについて、60分ほどの講演にて、どうしても転向の概念・歴史的背景、事実説明に時間を要し本来の主題は時間も限られたが、普遍性を抱けず孔に陥る日本の弱い部分を、少なくても戦時下での羊モードに些かの疑問はあるにしても半世紀以上に渡って普遍的価値観をもち続けた加藤翁の思想性にはあらためて感銘す。これくらいの人になると人種や国籍がどうであろうと加藤は加藤。つまらぬ民族性や国家主義の範疇には収まらぬもの。油麻地の百老匯戯院、夜晩場にて蔡明亮監督の『河流』、筋はすでに知っていたが、先日の『青少年……』と全く同じ家族構成、役者、ロケの家まで同一!にて、家が天井からの水漏れでビショビショなのは蔡監督の大切なモチーフ、今度は更に高度にモーホーサウナで遊ぶ老父、情夫と浮気する欲情した母、原因不明で首が曲がったままの息子、その息子が首の治癒のための祈祷にと父と旅に出て、その旅のなかで父と同じモーホーサウナの暗個室にて父子と互いを知らぬまま相手を貪ってしまうというかなりのギリシア神話的というか、これは身徳丸で折口信夫ワールド、いくら暗闇とはいえ首が曲がったままの息子と知らぬままセックスが成立してしまうこと、それ以前に息子がモーホーサウナを訪れることもイマイチ設定が甘いキライもあり、私なら父子が暗闇で遭遇し父が(父性にて)手を差し伸べた段階で息子の首の痛み、屈折が一時的であれ治癒し、それ故に父は子と知らず冒涜……と筋立てする、か。父が連れ込みした青年も『青少年……』にて李康生が憧れた不良少年役の陳昭榮であり、それならウダツが上がらず且つ首まで曲がった李君が街で理想型としてのアポロン的青年(陳君)と遭遇し尾行してサウナへ……とすれば悲劇としての神話が成立するものを。いずれにしても『青少年……』『愛情万歳』と続いた不条理が『河流』にて極限に達し、次作が『洞穴』で救済というのも判るもの。