富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

1月1日(月)新年の知人へのメール。太陽暦の元旦を祝うようになったのは明治の始めからかと思っておりましたら実は明治6年太政官布告344号では太陽暦の1月3日が元始祭。官がいかに暦を変えようと巷では旧正月が続いていたわけですが、えっそれじゃいったいいつから1月1日を元旦でお祝いし始めたの?と思いましたら昭和23年7月20日芦田首相の時に法律178号で「國民の祝日に関する法律 」というのが公布され、なんと第1条は「自由と平和を求めてやまない日本國民は、
美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに國民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「國民の祝日」と名づける。」と法律の前文に「自由と平和を求めてやまない日本国民は……」ってんですからほんと日本国憲法の精神です。井上ひさしじゃないけどいいテンションじゃないですか、これ。というわけで日本は昭和24年から1月1日がお祝いになったんですね。たかだか半世紀なんですね……歴史は面白ひ。というわけで一句。
三千歳と逢へぬも僅か千歳かな
世間は千年紀と騒げど基督人でもなき我は千年紀を祝う根拠は何ももたず、千歳(ちとせ)でおもひ浮ぶは水戸の那珂川にかかる千歳橋。千歳から三千歳(みちとせ)、三千歳は雪夕暮入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)で直次郎の恋仲、最近では京屋か福助か。千年千年といっても足穂の世界では星くずが一つ生まれるくらいか、と。
明走会の面々と東涌に集合して最近事故が続く大嶼山バスにて伯公凹、鳳凰徑の第二段に入り大東山(Sunset Peak)、尾根づたいに雙東凹、稜線から下って南山、鳳凰徑は自動車道を行くが交通量も多く歩くに耐えず鹿地塘村を抜ける古道を歩き梅窩。波止場の海鮮料理屋にて午後正月宴、これにI氏家族が寶蓮禅寺での元朝参りを済ませ合流。橋本『源氏』東屋から浮舟。