富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

12月24日(日)快晴。朝食のクロワッサン、ふと目を離した隙にS猫が舐めていてバター犬なるものは存在せいもののバター猫は如何なものかと思う。Z嬢と坪石(MTRの站名:彩虹はどうも頂けず)から西貢経由にて企嶺下より九曲山を経て馬鞍山に登る、昴平から芙蓉別を経て三塊田に下山。熱くも寒くもなきトレイル日和、ほぼ5時間にてのんびりと。昨日?記にて焼鵝と白切鶏、皮蛋を外賣して帰っており今晩は年の瀬の歳時とSt-Emilion は Chateau Figeac 1994をゑいっと抜栓、キリスト者が聖誕祭を祝うが如く何故かここ三年は(この季節、旅行もせぬこともあるが)ふと思えば毎年、?記の焼鵝、キリスト者でなければ聖誕祭を祝う筋合いもないものの食材屋にて鴨だ鶏だと聖誕祭のための肉料理を見るにつけ?記の焼鵝のほうが美味いとおもひ、香港の地場の粤菜としては認めたくない肉厚の?記の鵝もフランス料理と思えば格別、それでここ数年このようなことになっているが、今回は昨日?記にてすでに包丁をいれて切り刻まれたため今晩は肉汁が完全に漏れきってしまい味覚半減と失敗る。それにしても格別は?記の皮蛋、これをそこそこの赤葡萄酒にて食した時の光悦は至極、もし香港を離れ誰かに香港で何か買ってくるかと問わらば間違いなく所望するは?記の皮蛋か。焼鵝と白切鶏にかかった汁の出汁か小豆の煮物が雑ざっているが今まで食べもしなかったが試すとこれもなかなかイケてクラッカーに搭せて食せばイケたもの。ランタオ島で二週間前のバス横転事故に続いて又も道路が狭いことを原因としたかのような事故、大嶼山の道路網拡張が論議される中でまるで終戦直後の国鉄三河島事故か不穏な事故が続く。あたしゃキリスト者じゃないのでクリスマスなどどうでもいいのだが浅草羽子板市くらいに歳時なのは英国女王の無表情なクリスマスの祝辞、彼女がいくら言葉を羅ねても祝言になりゃしない無感情ぶりは寒く暗い英国の冬の風物詩よ、かつて香港ではクリスマスにあの祝辞がテレビで一斉に流れたものが今は悲し、BBCのWorld ServiceかInternetでしか拝めず、この女王陛下の聖誕節の祝言、別に気にもとめていなかったがこれを聞くほど暗くなると教えてくれたのはBBCの某地特派員のD君、英国に女王陛下の誕生日が祝日でもないのに香港にはあった、とも。東京都知事石原が背広を着ずに紺色のブルゾンのようなものを羽織っているのはありゃあれでいいがふと気づけばあのブルゾン、着ているのは石原、金正日李光耀と世界になだたるファシストと判明(笑)。森の諮問機関で江崎玲於奈君が座長する教育改革国民会議なる似非団体が教育基本法の見直しを提言、「人間性豊かな『日本人』を育成する」とはいったい何の戯言か、人間性豊かな朝鮮人と日本人でどういふちがひがあるのかノーベル賞を獲た江崎君に答えてもらいたいもの、この骨子じたい違憲である、違憲!、日本国憲法は普遍を所望しているのであって民族により異るような人間性など違憲、だいたい人間性などという言葉を骨子にもってくることじたい発想が貧困だが、中身も同等にCheap!、「教育の原点は家庭にある」ってその家庭が崩壊しているのに……、「学校は道徳を教えることをためらわない」も万笑は「ためらう」というのは「あれこれ迷って決心がつきかねる」ことであって「ためらわない」はつまりきちんとした理由理屈は明確にできないが「ええいっ!、やっちまえ」が「ためらわない」、つまり道徳を教えることに江崎君筑波大の学長までしている知識人でありながら道徳に根拠も見えないのに「ええいっ!、やっちまえ」か、江崎君はノーベル賞など返上すべきである、と思いつつ、ノーベルなる爆弾オヤジが学者としての良心の呵責で創設された自己弁明のための賞、この程度か、焦点となった奉仕活動の義務化は見送られたものの「全員が行うようにする」って義務化と何が違うのか、どうせ君が代日の丸と同じで数年後には法制義務化は目にみえたもの、どうせなら義務化してそれに応えるような青少年には自民党のロビーの清掃活動でもしてもらいたいもの。