富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

大槻文蔵裕一の会@観世能楽堂

辰年正月廿二日。気温摂氏▲0.7/9.7度。晴。水戸の梅まつりは来週末迄だが数日前に満開と聞く。今朝、水戸駅に行く途中で三の丸公園を抜け梅を愛でる。

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常磐線で天王台~我孫子間にある車両センター(正確には松戸車両センター我孫子派出所)から本線入るところで待機中のTrain Suite 四季島に遭遇。本日この富裕層専用列車が常磐線偕楽園にも来ると地元で話題になつてゐたが尾久の車両センターが基地なので、そこから上野駅に入線すると思つてゐたら、まさか我孫子だつたとは。神田淡路町で散髪(The Gollum)。ルーティンのやうだが神田志乃多寿司で寿司折誂へ地下鉄で銀座。日比谷線上のconcourseにある立食ひスペース……としか言ひやうがないが「飲食を目的とした利用は30分まででお願ひします」と注意あり「商談なら30分以上でも良いのか」「宗教勧誘で3時間は良いのか」と訝しく思ふが其処で食事済ませ7丁目昭和通りまで歩き宮脇賣扇庵。普段寄つたことないが萬年堂本店で道明寺のさくら餅購入。観世能楽堂

能を観るやうになつて今一番楽しみなのが、この大槻文蔵師と裕一君の会。本日は復曲能〈碁〉から始まる。

シテ(尼、空蝉の霊)文藏、ツレ(軒端ノ萩の霊)裕一、ワキ(旅僧)宝生欣哉でアイが太一郎。囃子方は松田先生、皷大小が新九郎と広忠。後場で空蝉と軒端ノ萩が碁を打つところで不覚にも寝落ち。空蝉が光源氏お忍びの晩のあれこれのところ不見で目が覚めると碁盤に空蝉の衣がかかつてゐた。


この映像でも、その場面はカットされてゐて。源氏物語の空蝉からの主題を用ゐた能だが物語じたいに比べてしまふと能で〈空蝉〉の、あの世界がどこまで彷彿されてゐるのか、は寝落ちの初見では何もわからぬまゝ。この僧は常陸国から上洛で常陸国陸奥である。常磐道なのだが白河関も出てくるとは。狂言は万作先生〈伊文字〉。前シテが女で後シテは通関の者の二役。言葉遊びのやうな狂言で万作先生でなければ駄作になつてしまふだらう。裕一さんシテの能〈融〉。小書は思立之出、舞返之伝。〈融〉は好きな番組。〈空蝉〉が源氏物語から、なのならこちらは主人公の源融嵯峨源氏の始まりだが光源氏の実在のモデルだともいはれる。いずれにせよ河原の御殿に遠き塩釜の浦を模した庭を造り、といふ道楽に纏はる話。それ以上の何もないのだが謡曲が楽曲として面白く「舞返之伝」で後シテの早舞から急ノ舞がもはやヘヴィメタどころかパンクなのである。若い裕一さんの今だからこその急ノ舞で囃子方もかうしたアップビートになると驚異的な昇華感のある広忠師にリードの武市学、ドラムの小寺真佐人といふ、このノリにきちんとセッションできる相方で小鼓は大槻先生の期待もあるのだらう成田奏君が懸命に合はせる。まだ曲中に打ち損なひも散見されるが将来に期待の若手で、かうした機会の場数を踏んでこれからが楽しみ。本日の観世能楽堂はかなり年季の入つたロッカーやビジュアル系の男子が来られてゐて囃子方で広忠師が実はロッカーだとか、奏君にビジュアル系の友人とか、そんなお付き合ひで?としか想像できず。いずれにせよロッカーやビジュアル系にとつても本日の〈融〉の急ノ舞などかなりツボに入るところなのじゃないかしら。能といふ古典にあんなアップビートのセッションがあるだなんて。


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観世能楽堂を出て銀座の通りを歩いてゐたら横断歩道の青信号点滅で右折、左折で入り込む自動車もあるので小走りに渡らうとしたら道路の異物に躓き、それにバランス崩したどころか身体が宙に浮き道路のアスファルトにdiveするやうに着地。幸はひ顔を打ちもしなかつたが一張羅のズボンの膝の布地がひどく裂けてしまふ。道路の路面から数センチの障害物、あとから調べたらチャッターバーといふのださう、そんなものに蹴躓いただけであんな大袈裟に飛ぶなんて。加齢とはかういふことか。いつも杖でもほしいところだが走つてはいけない。とにかく足元が危ない。ところで道路上のあの突起物、何て呼ぶの?と思つたらチャッターバー*1といふのださう。


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銀座サンボアでハイボール二杯。電車通りを渡り泰明庵は土曜晩で休みか、それならよし田に向かはうか、と思つたが泰明庵向かひの中華・東生園に入る。肉糸麺を「固焼き」にすると200円増し。香港の美味なる肉絲炒麺がまことに懐かしい。

本日常磐線の往復で佐々木幹郎中原中也—沈黙の音楽』(岩波新書)読む。詩心なきアタシが中原中也だなんて、だがこれは母に入手頼まれてゐたものを先に読ませてもらふもの。山口での師範付属小から中学にかけての教生・後藤信一や東京の富永太郎など中也の若かりし頃に(って中也も30歳で亡くなつてゐるのだが)中也に大きな影響与へる同性の慕ふべき存在がある。京都で16歳のときに付き合ひ始めた年上の愛人(泰子)を東京で寝取つた相手が小林秀雄なのだが泰子が中也を見限るのも何となくわかるところあり(小林と泰子も数年後には別離)。この中也本を読みながら車中でネットでバッハの〈パッサカリアとフーガ〉を聴いた。年下の吉田秀和が中也にフランス語を習ふのだが吉田秀和の手記に中也と会つた頃に中也と一緒にバッハのこれを聴いた記述がある。

曲が終わって「すごいなあ」と、思わず、私が叫んだ。すると中原が「どう、すごいんだよ」と突っ込んできた。私はどぎまぎしながら「だって神様がいるんだもの」と言った。「神様が何かを指しているみたいじゃないか」
若気の至りである。(略)
「お前はクリスチャンか?宗教というものは子供の時、親が決めてくれるのが一番だ。大人になってからは難しくて自分では決められないよ」と言って、あの特徴のある大きな目でジロッと私をにらみつけた。
その目の恐ろしかったこと!
それは怒りとも憎しみともつかない、あるいは両方のこもった、激しいものの燃えている目、まなざしだった。後で阿部さん(阿部六郎)は「あの時、中原は嫉妬してたんだ」と教えてくれた。阿部先生によると、彼(中也)は悩みに悩み抜いていて、それが私みたいに気楽に神様なんて口にできる若造に向けてのいら立ちの怒りになった。「あれは相手のいない苦しみなのだ」というわけである。
吉田秀和「音楽展望」中原中也の目(朝日新聞2008年3月20日夕刊)

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*1:チャッターバー (英: Chatter bar) とは、道路区画線の中央線上や導流帯上などに、速度を落とさせる目的や車線外への逸脱を防ぐ目的で設置される、大型で細長い道路鋲のことである。チャッター(chatter)とは「がたがた音を立てる」といった意味の英語。キャッツアイとよく呼ばれるがそれは間違いである。(Wiki