富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

安堂ホセ『迷彩色の男』(河出書房新社)

癸卯年九月初三。気温摂氏11.8/23.9度。晴。

迷彩色の男

安堂ホセ『迷彩色の男』(河出書房新社)読む。著者のデビュー作『ジャクソンひとり』(第59回文藝賞受賞)読んでゐたので。前回はゲイの物語だつたが今回も。今回の方がディープ。舞台は〈ファイト·クラブ〉といふゲイの所謂クルージングスポット。

〈ファイト·クラブ〉の構造は、漫画喫茶にも似ている。内部に張り巡らされた無機質な板がルートを仕切りながら個室を形取っていた。男たちはその通路を回遊しながら男を探し、惹かれあった男たちが板で仕切られた簡素な個室で、セックスをする。そのシステムはホテルにも似ていた。外で相手を拾って、部屋に誘う。六本木のリッツ·カールトンでも池袋のラブホテルでも行われていることを、男だけのミニチュアで再現する。それが〈ファイト·クラブ〉をはじめとしたクルージングスポットと呼ばれる店の業態で、一つ明らかな違いがあるとすれば、個室があらかじめ客ごとに割り当てられているのではなく、空いていれば好きな個室を好きなだけ使うことができるという点だった。つまりホテルでの殺人事件のように、ある部屋で遺体が発見され、その部屋の宿泊客を容疑者にするような、単純な推測は不可能なはずだった。

容疑者が誰なのか「単純な推測は不可能なはずだった」といふ書きぶりで、つまり「不可能なはずだつた」のが何らかの機知によつて迷宮入りしさうだつた解決困難な事件が解決したのか、と思つた。ガイシャは「いぶき」といふ青年。身長188cm、体重80kg前後のアフリカ系アメリカ人と日本人のハーフで自作のポルノビデオをネット配信で都内の高級マンションに居住するだけの収入もあつた。そのいぶきと、このスポットで遭遇した「私」はいぶきと連絡を取り合ふが、いつも会ふのはこのスポットであつて所謂セフレなのか恋人関係なのかは曖昧。さういふことなのでいぶきが何者かに殺され、実はその日もこのスポットできぶきの死の直前までいぶきとの性行為を堪能してゐた「私」だつたから「私」が愛人のいぶきの死に間接的に遭遇して、そのいぶきを殺すほど弄んだホシを命がけで探し出すのか、と思つた。あまりにベタな推理小説だけれども何せ「不可能なはずだった」のだから。それが(これ以上綴るとネタバレになるからよろしくないが)「私」は探し出さうとしてホシに遭遇する、といふストーリーではなかつた。ところでかなり「リアル」な書きぶりの物語なので「この〈ファイト·クラブ〉なるスポットが、いつたいどことされたの」「著者は自分自身が遊んだことのある実在のスポットを題材としたのか」が気になる。

〈ファイト·クラブ〉は三叉路の突きあたりにあって、駅へつづく坂と、高架を潜って渋谷方面へ続く国道と、狭くて暗い一方通行とに分れていた。犯人の男はどの方向に逃げていったのか、私には想像もつかなかった。

具体的な「渋谷」といふ地名が物語全般でこゝで一度だけ現れる。三叉路の突きあたり。駅へ続く坂。高架を潜つて渋谷に続く国道……なんてあると、これは具体的にどこなのか、と気になる。物語の本筋よか、こちらの方が余程気になる。三叉路の突き当たり。といふことは自分が歩いてきた方から見ると「突き当たる」のだが、それなら三叉路ではなくT字路のはず。だが著者は、その三叉路が「駅へつづく坂」と「高架を潜って渋谷方面へ続く国道」と更に「狭くて暗い一方通行」とに分れてゐるといふ。それは三叉路ではなくて、当然T字路でもなくて「ψ」こんな道だらう。だが一本の道が「駅へつづく坂」と「高架を潜って渋谷方面へ続く国道」と更に「狭くて暗い一方通行」に分かれるなんて事実上、無理がある。この分岐点から突然、国道が起点となるなら話は別だが。そして「駅」である。「駅へ続く坂」の駅は渋谷駅なのか。同じ駅だとすると具体的には道玄坂坂上あたりだと道玄坂を下ると渋谷駅で、国道246に出れば渋谷方面に向かふ。だが道玄坂上から国道246に出るのに鉄道?の「高架」は潜らない。国道246の上には首都高3号線が走つてゐるが渋谷に向かふには、その高架を潜る必要はない。となると「駅へ続く坂」の駅と渋谷駅は別といふ仮定は何うかしら。原宿か恵比寿か。恵比寿なら坂もあるが鎗ヶ崎の方から恵比寿に下るとき、駅へ続く坂と山手線の高架線を潜れば渋谷橋の交差点で渋谷に向かふ明治通りに交差はする、だが明治通りのこの区間都道*1。では次の場所に関する記述を見てみる。

駅の直前にまたがっている巨大な踏切に、人が溜まっていた。地下鉄を含め、十種類近くの線が交わる巨大な駅だった。その踏切は四車線を束ねて、一度サイレンが鳴りはじめると十分近く開かないこともあった。轟音で急行が通過していった。

かなり具体的な記述ではある。
(a) 駅の直前にまたがっている巨大な踏切(かなり人が溜まつてゐる)
(b) 地下鉄を含め十種類近くの線が交わる巨大な駅
(c) 踏切は四車線を束ねて一度サイレンが鳴りはじめると十分近く開かない
(d) 急行が通過
こゝまでヒントが並ぶと具体的な場所がかなり絞られる、はず。だが、こゝでも(a)で先づ前述の「三叉路」のやうな表現の曖昧さがある。「巨大な踏切がまたがる」としたら「踏切は何を跨ってゐるのか」。道路を跨つてゐる、とか。

また‐が・る 【跨る】自五
①股を開いて乗る。「鞍に―・る」
②一方から他方へかかる。わたる。(略)「両方の分野に―・る研究」「3年に―・る工事」【広辞苑第七版】

少なくても「私」は列車でなく歩行者であるから歩くのは道路で踏切を跨ぐことはあつても逆はない。まぁこれは文章表現の不正確程度なのかもしれない。そして(b)では、こんな巨大ターミナル駅なら渋谷か新宿だが、こゝでも表現の不正確で気になるのが鉄道路線を数へるところ。路線を「十種類」とは言はない。例へば渋谷ならJRと私鉄、地下鉄の三種類の異なる公共交通システムが乗り入れてゐるが「路線」ならJR山手線、埼京線湘南新宿路線、京王井の頭線、東急の田園都市線東横線東京メトロの銀座線、半蔵門線副都心線の9路線が交はつてゐる。こんな巨大駅なら「駅の直前」に「巨大な踏切」など存在し得ない。かつては東急東横線の渋谷第一踏切もあつたが代官山に上がる手前。新宿なら踏切といへば小田急線だが現在では最初の踏切は南新宿駅。しかも(c)に由れば踏切は「四車線を束ねる」のだ。こゝでも表現が不正確。もはや「河出書房新社の編集者出てこい!」である。

しゃ‐せん 【車線】
道路で、車両の通行をきめている路線。「片側2―の道路」「追い越し―」「―変更」【同】

線路の数え方「本」(数え方辞典)でせう。4本の線路を束ねる踏切とは。複々線なら4本もあるが田園都市線複々線化が完成しても地下。路面では新宿からの小田急線も複線で線路は2本。4本の線路が走る踏切が渋谷、新宿にあるのか。何となく、ではあるが渋谷或いは新宿でこんな「開かずの踏切」といふとイメージするのは代々木駅近くの厩道踏切と青山街道踏切。山手貨物線埼京線新宿湘南ライン)が走り開かないときは本当に開かない。だが線路は2本。そこで土手の上を走りガード下に道路のある山手線や総武線(中央線快速)を2Dにしてしまへば無理やりだが確かに4本、6本が走るが直近は代々木駅で巨大ターミナルではない。そして(d)では急行である。私鉄の急行列車がいくつか挙げられるが、すでに(a)から(c)でもうぐちゃぐちゃなので(d)をヒントにどのあたりかを推測することも飽きるところ。……では別の記述からも、、もう少し散策を続けてみることに。

〈ファイト·クラブ〉からいちばん近くにあって日曜の救急外来を受け付けているのは、車で10分程度の距離にある大学病院だった。青く透けたガラスの外観はっどことなくリッチな感じで、いぶきにもふさわしい気がした。

都心のこんな大学病院は慶應大学病院は「リッチな感じ」もしないし「青く透けたガラスの外観はっどことなくリッチな感じ」なのは、やはり池尻大橋の東邦大学医療センターだらう。続く記述で「坂を下りるスロープの先にロータリーがある」のだが残念ながらロータリーの近くにも構内にもスタバはない。スタバがあるのは慶應大学病院だが建物の奥。東邦大学の病院だとすると、やはり渋谷なのだらう、きっと。そしてもう一つ具体的な土地の記述がある。

〈ファイト·クラブ〉は(私の)会社からそう遠くない。歩いていけば15分。ビル群を抜け、駅の繁華街を越え、あの巨大な開かずの踏切を渡ったら坂をおりて、〈ファイト·クラブ〉の三叉路へたどり着く。

「私」の働くビルはかなりの高層オフィスビルで、そのビル群といはれると新宿の新都心とかイメージするが駅の繁華街を越へ、といふことは駅を過ぎてから巨大な開かずの踏切を渡り、さらに坂をおりるといふ。渋谷駅周辺から坂を上ることはあつても最も谷底の渋谷駅から更に坂を下ることはできない。新宿だつて新宿駅から歩くに歩いて曙橋あたりで谷を下りでもするのか。さういふ湿つたい窪地にスポットがあれば、それはそれで淫靡さがあるかもしれないが。だが遠すぎる。

f:id:fookpaktsuen:20231018232303j:image

「私」はいぶきが殺されたあと、しばらく経つて恐る/\また件のスポットで「彼」と遭遇する。外に出た二人は空腹を覚「このあたりなら」と近くに出来たハンバーガー店に入る。繁華街でもなく、やはり代々木の厩道踏切あたりをイメージして物語を読んでゐた。

〈ファイト·クラブ〉から出て立ち寄つたのは古き良きアメリカを再現した、オープンしたばかりのハンバーガー店。

フレッシュネスバーガーNTTドコモ代々木ビル)があつて、開かずの踏切を渡りガードを潜れば代々木駅前で、三叉路から反対に少し進めば国道ぢゃないが明治通りが走つてゐて青山から表参道の先だけど渋谷にも通じてゐる。渋谷を新宿に置き換えれば明治通りでも渋谷より新宿はずつと近いし三叉路から北に旭町を抜ければ歩いてもすぐに新宿。御苑の方にも少し坂もあつて。「私」のオフィスが新宿マインズタワー(代々木2丁目)だとするとJR南新宿ビルやJR東京総合病院などビル群を抜け代々木駅を越えて徒歩15分は妥当(坂だけがないけれど)。怪人二十面相のアジトも確かこのあたりにあつたはず。いぶきを殺して他にも無差別に襲ふ恐怖の男が現れる場所としてはなか/\のロケーションぢゃないかしら。

アタシはこの「迷彩色の男」といふタイトルを何だか「迷彩服の男」のやうなイメージでずつと読んでゐた。そんな服装の男なんて出てこない、と途中で思つたら「迷彩色」でカモフラージュなのだ(表紙絵にも英題がcamouflage」とあつたのにアトで気づいた。さういへば前作(ジャクソンひとり)では彼ら4人が互ひの服を着て入れ替はり現れ、それぞれの復讐を果たさうとするのだつた。今度はその真逆。題名通りで「私」は一人の男のカモフラージュに遭遇したのだつた。さういふ意味では前作の焼き直しだらう。これを石原慎太郎太陽の季節)だとか村上龍限りなく透明に近いブルー)の再来で芥川賞?なんて声もあるのだけれど。前作の「ジャクソン」の方が主人公や相方に対する関心はまだ大きかつた。

ところで「私」が「彼」と春に桜の花見に出かける混雑した場所での群衆のなかでの事件は発想も表現もまことに面白かつた。通りに面している小さいアパレルブランドや古着屋、スキンケアブランドなどの店舗がある通り。最初そこは渋谷の桜丘町の坂かと思つたが「橋の欄干」があるところで川沿ひなので目黒川公園なのだらう。

*1:明治通りの国道区間は西巣鴨から王寺駅前の国道122号線のみのやう。