富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

冨田均『東京私生活』(作品社、1997年)

陰暦五月十九日。気温摂氏17.8/27.1度。薄曇。今日は某大学の二十代の研究者とお話しをする機会あり。Zoomで、であつたが、この半年ほど幾つかネットで漁り、この先生のいくつかの著作を拝読して現代のさまざまな問題を独自の視線で分析してゆく思考にじつに刺激を受けた。もう自分の脳裏でそんな柔軟な思考に及ばないことも悲しくもあるが、それでも若い方でさういふ思考が育まれてゐることに、それを読んでまだ勉強していくことの楽しみを覚える。

今晩は水戸芸術館庄司紗矢香さんの新ダビッド同盟の第6回になるのださう演奏会あり(こちら)。古呂奈対策で「満席にハしてをりま扇」の9割配置で満席の由。この楽団を聴いてきた母が出向いたので終演後に母を迎へに出かけたのだが芸術館から観客の多くは地下駐車場に駐車してゐた自家用車に乗り込み帰宅。徒歩で大通り(国道50号)のバス停に向かふ人たち(もコンビニすらない暗い道を歩いてゆくわけで少し歩けばワインバーとかないではないが寂しいもの。新市民会館が来年7月に開館すると、芸術館からの動線にある通り(並木通りと呼ぶのださう)に面したところにカフェレストランができるらしい。コンサートが終はる時間までやつてゐてほしいのだけれど。母の知人はこのあと大工町でお寿司やさんに寄るといつてゐたさう。コンサートの後にお酒をいたゞいて握りを数貫ってステキだ。

こゝ数日、冨田均著『東京私生活』(作品社)読む。冨田均の著作は『乱歩「東京地図」』(1997年、作品社)読んだのが最初かしら。荷風散人であるとか池波先生であるとか東京の散歩人の流れはこの人を経て泉麻人とかに継がれるのかもしれないが散文でもなく「データ主義」がこの冨田均の時代かもしれない。そのあとの泉麻人にになるとエッセイを書くことが目的でデータは曖昧のテイストとなる。それにしてもこの『私生活』のデータ主眼は恐れ入るほど。新宿とか蕎麦屋とか当時でもデータに残る「地帯」ならまだしも「平屋家屋」とか「小物屋」とか『東京人』創刊後でも未だ誰も関心もないやうな「ジャンル」で冨田均のデータ蒐集が延々と続く。もはやシュールの世界。

アタシにとつては小汚い新宿南口の階段下の記憶

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新宿南口(甲州街道下)の小汚い、小便臭い戦後の光景も懐かしいかぎり。家人と昭和の終はり頃に「日本晴」で待ち合はせ「五十鈴」だとか台北飯店に飲み食ひした頃がじつに懐かしい。今ではもはや角の「長野屋」が残るのみ。

そして上野である。鈴本の角を曲がつた仲之町は今では中途半端なエロパブばかりだが冨田均の彷彿は組紐の〈道明〉向かひにある酒屋「堺屋」から始まる。この堺屋のレリーフにあるアーティスティックなロゴは彫塑家の朝倉文夫なのださう。今は元従業員に代替はりしたが著者は堺屋の先代の倅氏から連絡をもらひ二人でこの界隈を歩く。倅氏と別れ堺屋の自販でワンカップ購入した冨田さんが不忍池の湖畔で飲むときの物語が美しい。エドワード=サイデンステッカー伯が同じ堺屋の自販でワンカップを買つてゐて湖畔のベンチで同じやうに飲み始め……サイデン先生老境のことなどそこ迄は昭和の終はりアタシでも驚かないが何と自転車で吉本隆明が通りかゝるなんて。まさか赤テントの芝居のやう。そんなことがハプニングとしてフツー起きるのが、それが東京の面白さだつたのである。

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香港返還25周年の記念論壇だか提灯行事の開催。「一國兩制」廿五載 行得通 辦得到 得人心と大公報の提灯記事。行政長官林鄭月娥曰く「25年的实践证明,「一国两制」方针和香港基本法是香港繁荣稳定、长治久安的根本保障」ださう。そもそも香港の繁栄は本当に「穏定」なのか?と疑問であるし「一国両制」といふ空論が今後もその安定が続く根本的な保障になるのか疑問ではある。一国両制があくまで中共内部に資本主義経済制度を据ゑるための方策だとすれば、それはそれで実現されてゐるのだが。国务院港澳办副主任の黄柳权なる人曰く「以往打赌香港失败的人从没有赢过,将来也不会赢」(香港を博打にかけて出た連中は勝てた試しがなく将来も必ずや勝てることはない)。この揺ぎなき自信こそ中共そのものである。我たちはこの巨大な政権を倒すこともできなければ倒せば更なる社会混乱があることをすでに歴史で学んでゐる。社会混乱するなら、この巨大カルト!に国家運営を任せておけばよい、といふのが「日々是好日」の発想なのかもしれない。

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