香港で民主派の「職工盟」が若者相手にドキュメンタリー〈理大圍城〉上映したことにⅢ級片(エロや暴力で成人指定の映画)見せて港独の偏見思想で若者を害す!と大公報。はい、はい、はい。大公報はいつも楽しさう。その記事の右肩に「林郑:港深合作打造国際級創科中心」といふ記事。世界レベルの先端科学センターを香港と深圳が合作で更に進む内地との一体化。香港の優秀な科学専攻の学生は欧米に留学してしまふといふのに。蘋果日報は内地から返港(隔離不要)の婦人二人が感染者で一人は国産ワクチンを二度摂取してゐた、と。
朝日新聞で柴田元幸訳『ガリバー旅行記』連載も面白いが、この福岡伸一先生のドリトル先生モノも面白い。ドリトル先生が動物相手に資本主義を平易に語つてしまふのだから。『人新世の資本論』読まなくても良いだろ、これに端的に述べられてゐるのだから。資本主義がどんな「引くに引けない」麻薬のやうな制度なのか。我々はその中で中毒になつてゐる。人間のなんて悲しい業©談志なのかしら。こんな制度は絶対的に不幸を伴ふが自分はさうはならない(だらう)ところで、この制度の虜となつてゐる。
そんななか奈良明日香村岡本寺のはがき法話で信州長谷観音・岡澤慶澄師の「わたしの法門」を読んで少し気持ちがしつかりとする。
月であれ桜であれ茶であれまたどんな仕事でであれ、どんな暮らしの場であれ、伴侶も家族も同僚も、職場も田畑も病床も、それを法門として開き、潜ってみる。どこであれ、訪問と心して歩み始めてみれば、じつはいずこも「わたし」という不思議をたずね、修め、学んでいく道場であったと気づかされるでしょう。
毎日全ての事象に対して、それを「法門」のやうに感じ入ることで康成先生のやうな美しい心で毎日、朝を迎へることができるのかしら……ほほほ。でも久ヶ原T君とか建築家のK先生とか、本当に毎日かうした門を潜るやうに何かしら体感して、それを基に何かしら創造していつてしまふのだから、きちんと何かしら修めることは大切で素晴らしいこと。