海外から家政婦雇用の場合、これまでの初期費用に加へ検疫のため施設での隔離費用まで負担(大公報)。台湾密航裁判では被告側の控訴は見込めず……そりゃさうだ、党の裁判で判決が覆されるはずもなし(蘋果日報)。
本日陽暦正月三日。水戸を10:04発の水戸線で家人と笠間へ。この列車の一本前は08:39なので一時間半近く列車がない。ローカル線でも水郡線より本数が少ない。水戸線は水戸から小山往きが上りで下館〜小山間のほうが本数も多い。売店も付近にコンビニもない駅前に辛うじてある観光案内所で電動自転車借りて取り敢へず県陶芸美術館へ。
「かさましこ」と題した笠間と栃木の益子の若い作家たちの作品展も面白い。
陶芸美術館を出て「ギャラリーロード」に点在する陶器店をいくつか回る。そのなかの一軒でKeiCondo氏の作品を初めて手にする。まるで木器のやうな土の扱ひ。
この豆腐屋さんも開業してもうどれくらゐになるかしら。豆腐の美味さはかなり定評で店舗もずいぶんと立派になつてゐた。名物の「ざるどうふ」や生揚げ、おからなど贖ふ。
笠間稲荷の門前には屋台が何十軒も並び正月の賑はひだが参拝者は芋を洗ふやうではなく十分に余裕で歩ける。
このパンやも評判。午後遅くでかなりの種類は売り切れてゐたが名物の「しおパン」あつた。このパン屋はパンを重ねて重さで萎まないやうに紙皿にパンを並べてラップしてくれる。感染防止で店に入り順番にパンを選んでくれてレヂも効率的。そろそろ電車の時間が気になり駅に戻らうと走つてゐたら魯山人「春風萬里荘」といふ看板あり、この笠間日動美術館別館の地もさういへば未訪、電車は1時間後の1本後にズラせば良いかと、そこから水戸線の線路を渡り1kmほど南の「芸術村」へと入る。
元々厚木近郊の御所見村にあつた大きな庄屋・伊東家の家屋で、それを昭和初に魯山人が北鎌倉山﨑崎に築いた星岡窯の母屋として移築(もう一棟の慶雲閣は平成十年夏に焼失)し魯山人逝去迄そこに住まひ、それを長谷川仁翁(日動画廊創設)が笠間のこの地に芸術村を拓くにあたり買取り移築して笠間日動美術館の分館としたもの。
和室の掛け軸も置物、額も掛けすぎ、置きすぎだが展示目的なので致し方ないか。
茶室は千利休の孫・千宗旦による裏千家の茶室「又隠」を手本として魯山人設計したもの。今では母屋からちょっと無理やり軒続きとなつてゐるが北鎌倉では母屋より離れた茅葺き入母屋造りの独立した茶室だつた由。
この母屋裏手の枯山水の庭は魯山人の北鎌倉時代にあつたのか何うかしら。
やはり何といつても不折である。不折の書に接すると背筋が伸びるほど気持ちがしゃんとしてしまふ。
三和土の土間の向かふは本来は馬屋であつた洋間。まるで石材のやうだが年輪刻んだ欅の「木レンガ」を敷きつめた床。その奥に魯山人の有名な「アサガオ」がある。畏れ多くてとても小用など足せないだらう(現在は勿論使用不可)。
日中の列車はすべて友部止まり、友部始発で水戸への直通はない。16:06の列車で友部乗り換へで水府に戻る。
もう収束するまでオレは正月。決めた。
— しりあがり寿 (@shillyxkotobuki) 2021年1月2日
もう一つ、寿先生の呟板に「なんだかなー、国に「俺たちを制御してくれ!」って言うのはヘンな気がする」といふのがあり。確かに国に緊急事態宣言を!と自らの行動制御を請ふのはおかしなもの。