富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-06-23

農暦五月初十。土曜日。朝から驟雨。不安定な天気で大雨に見舞はれる。そのなか客人ご一行連れ朝から油麻地へ。昼前までご一行は会合でアタシは暇なのでCityview HK YMCA Hotelへ。裁縫箱開けて周末の残務処理と思つたがG階のカフェは開いておらず上階の食堂はまだ朝のビュッフェ。朝食場所で仕事も……と思つたが食堂の入り口のスタッフに「お部屋は何号室?」と尋ねられ「珈琲一杯だけ」と答へたら「ならば朝食の食堂ぢゃなくて、こちらの方がいゝわね」と吹き抜け見下ろすバルコニー沿ひの空間に案内され宿泊者以外有料となつてゐるWi-Fiも暗証番号教へてくれる。なんてありがいことか。客人らと香港島に戻り跑馬地から湾仔(旧新華社並び)に移つた駿景軒で四川料理。市内視察のあと早晩に尖沙咀。空が晴れる。Gatewayは時々通るが何年ぶりかしら?でOcean Terminalの商場歩く。O夫妻に招かれ隣接のPacific Club(太平洋會)のボヘミアにて夕食会。終はつてオーシャンターミナルの屋上駐車場に上がると香港島の夜景がなんとも美しい。帰宅して先日届いた荷物開梱。謂はゆる煙草盆。以前から、欲しい、欲しいと思つてたものがこれ。年をとると細々したものが手元に必要に。老眼鏡、メモ、筆、龍角散……本当ならキセルに莨草、湯飲みでもいれたいところだが。
▼香港の自治と財政について。香港政府がなぜに所得税法人税は低額でも財政黒字なのか。関税も自動車やガソリン、煙草や酒程度で消費税もない。収入の多くが不動産取引きでの印紙税だが余り注目されないが香港政府の支出で国への上納がないこと。納税者も言ふなれば地方税のみで国税なし。香港政府が防衛権や外交権もないが、その負担もない。中共の独裁と強権に甘んじての軽負担。香港独立を理想論としていふのは容易いが、かうした「中共あつての」の部分は悔しいかな事実。
▼日曜から土曜になつた朝日新聞書評。新聞書評では朝日より毎日の方がだんぜん良いが(読売など論外)、朝日の書評子の中でも格別は横尾忠則先生。映画が評判の是枝裕和万引き家族』についての書評「傷を負った魂、自己救済の旅へ」の筆致。

そして誰もいなくなった!」。家族など最初から存在していなかった。存在していると思うのは幻想である。われわれは家族という虚構をさぞ現実の所有物だと信じて後生大事に守ろうとしている。こういうことがすでに虚構なのだ。
小説や映画の中に描かれている家族を本物だと信じようとしている。最初から家族は崩壊しているということを隠蔽したうえでの約束事だ。つぎはぎだらけの家族を修復しながら、さもここに幸福があると小説や映画は語る。現実を虚構化して現実の家族から逃避しながら、道徳や倫理をふりかざし、真実から目を逸らすのである。
本書はそんなニセ家族を見事に解体してくれた。そして本物の生き方を示そうとした。そのために、家族のひとりひとりは犠牲を払わなければならなかった。本書の前半は現実を幻想のように生きる姿が描かれるが、後半になるに従って小さな傷口〈亀裂〉が開き始める。その傷を必死にふさごうと、家族は思いっきり幸福と平和を擬態する。
だけど人間の世は容赦しない。天上からの視線は人間の視線を遮る。足元から余震が起こり始める。やがて本震は音を立てて虚の亀裂の中に落下していく。
そして解体された家族はひとりひとりが強烈な感傷と対峙(たいじ)しながら、傷を負った魂と化して自己救済の旅に立とうとする。地上の引力から離脱して魂の故郷〈宇宙〉へと。人間の悟性がこれほどまでにニヒリスティックに造形された物語は知らない。うそ偽りのヒューマニスティックな〈家族〉は、この「万引き家族」によって封印された。
まだ映画は観ていないが、僕はまるで自分が監督になったような気分で本書を映像化し、演出しながら、創造していたのである。表現の肉体化とは、もしかしたらこういう行為を促す力をいうのではないだろうか。僕は「万引き家族」に感謝したい気持ちになっていることを白状したい。