富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-02-08

農暦十二月廿三日。昼の気温は摂氏13度で晴れて少しだけ暖かくなる、が室内は建物が氷のやうに冷えゐた耐れず。日本のテレビはもう韓国での冬季五輪ばかりでうんざり。

⇧全国チェーンの大型SCで生鮮食料品を買うと出費の8〜9割が地域の外へ流れていきます。日本中、世界中から商品を集めているからです。一方、地元商店街はその地域から仕入れる比率が高く5〜6割は地域に還元される。言い換えれば全国チェーンの大型SCはお金を吸い上げ、地方経済を疲弊させていくシステムです。⇧ここはずっと別扱いの地だった。その証拠に今も県という行政単位がない。国土交通省には北海道開発局がある。今もって開発の対象なのだ。(略)中央政府にとって北海道はいつまで二級の地だったのだろう。太平洋戦争の末期、沖縄は国内でほぼ唯一の地上戦の舞台となった。三カ月に亘る戦闘で二十万人以上が亡くなった。その大半が沖縄の民間人ならびに沖縄で徴兵された兵士だったのは当然として他の地域から送り込まれた中で最も多くの死者を出したのが北海道だった。一万八百余名という数字は次位の福岡県の倍を上回る。もともと北海道は軍事的な性格の濃い土地である。ソ連という仮想敵国を北に置いての経営だった。旭川は軍都と呼ばれたし、札幌の北海道神宮の大鳥居が北東を向いているのはロシアを睨んでのことと言われる。屯田兵もロシアを意識したものだったろう。だから多くの北海道の兵が死地とわかっている沖縄へ送り込まれた。早い話が北海道人は命が安かった。