富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-01-12

農暦十一月二十六日。快晴。在港邦人諸団体の賀詞交換会あり末席を汚す。まだ陰暦では十一月末なのだが。宮中でも昨日、歌御會始。
語りつゝあしたの苑(その)を歩み行けば林の中に金蘭の咲く
といふ大御歌。その妃との「語りつゝ」に対して大君を
語るなく重きを負ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ
と詠んだ皇后さん。ほんますてきや。それにしても毎年の歌御會始で思ふのだが皇族妃のあのドレスはどうにかならぬものかしら。

⇧(引用)日本の近代化は、同時に日本の西洋化であるほかなかった。しかし、それに成功すればするほど、「日本」は溶解しかねない。少なくとも、福沢のいう「独立の気風」や「士道の精神」などというものは蒸発しかねない。そこで、近代化や西洋化から取り残されるものの不満は、ことさら「日本」を持ち出す方向へと向かうのである。西郷隆盛はその不満を一身に引き受けたが、それでことは片付いたわけではなかった。戦後の第二の近代化は、西洋化というよりアメリカ化であった。今日、アメリカ型の文明がグローバリズムという名で世界を覆いつつある。私には、明治の近代化において日本が直面した矛盾が解決されたとは思えない。だが残念なことに、福沢を後継する「新・文明論之概略」はでてこず、彼の危惧した「独立の気風」の喪失も問題とされない。とはいえ、西郷どんがいまだに人気があるのは、日本の近代化の宿命的な矛盾をわれわれもどこかで気にかけているからではなかろうか。