富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-04-27

農暦三月廿一日。久々に天気晴れる。日も延びて午後六時もまだ青空。家人と北角の波止場で待合せ海を見ながら麦酒でも、と思つたがハーバー沿ひのベンチは好天に誰も考へることは一緒で寛ぐ者多し。漫ろ歩き小辣椒に飰す。壁にある麦酒のポスターは小瓶で1枝22ドルはこの食肆にしては高いな、と思ひつゝ家人とで二本頼むと供されたのは大瓶。間違ひではなく写真がおかしい。帰宅して早寝。
▼本日、赤坂御苑で春の園遊会福島県副知事招かれ「ご支援をいただいた恩返しを少しでもできれば」と。福島への支援は当然で福島はそれに恩返しなど不要。むしろ核禍は東電と国を損害賠償で訴へるべき。それにしてもこの副知事に「本当にご苦労さんね」と応じられるとは、さすが聖上。
中島岳志が都新聞だかで紹介してゐた菅野完の日本会議と成長の家についての見方。日本会議の原点を60年代の民族派学生運動とする。それは(左翼学生運動が党派対立で分裂してゆくのに対して)反左翼革命といふ点で思想団体から政治、体育会までを多数擁してゐたもので、日本会議はまさに「個別目標に相応した別働団体を多数擁してゐる」点で同じ。この日本会議でさまざまな団体は「国歌斉唱」と「リベラル揶揄」といふ点でまとまつてをり、成長の家は80年代からエコロジー路線とつたことで、それに違和感覚へる信者が日本会議に流れてゐるといふ。その日本会議首相補佐官や首相秘書が加はり晋三の有識者会議も日本会議メンバー少なからず。まさに晋三=日本会議なり。