富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

ソロモンの歌

fookpaktsuen2015-10-06

農暦八月廿四日。雨。昨晩の痛飲はヘパリーゼハイチオールCで無難な朝迎へたが体力の消耗は致し方なし。眠かつたが岩波「世界」十月月届き樋口陽一先生の文章(歴史と記憶)のみ急ぎ読む。いきなり秀和さんの「ソロモンの歌」の引用が冒頭に。

……いろいろな国の人々が、自分たちの歴史について、その中からある選択をして、私たちの国はこういうものであると考え、それを自分たちの生活を支え動かしてゆく情熱と理想の根本としている……。彼らの歴史というものを、拾えば、それと矛盾する事実がいろいろと出てくるだろうに、彼らはその中から、選択をして、自分たちとその歴史を語り、将来を形づくる目標とする。

これは陽一先生や司馬遼太郎が語つたところの(小文字の)constitutionにある「国のかたち」そのもので、日本にはこれまで欠けてゐるとされてきたもの。陽一先生は晋三の戦後七十年談話丹念に読んだ上で晋三はワイツゼッカーいゝやうに引用したがワ氏には「個人と絶対者との間で成立する「罪」の意識」があるといふ*1。つまり反対に晋三は饒舌に「悔悟」「反省」「お詫び」が並ぶ空疎さ。

歴史の見方は歴史家によってもよっても一様ではないだろう。しかし事実を枉げて歴史を作り変えることはできない。学校教育での日本史、そして近現代史を重視する方向への変更が取り沙汰されている。万一にも(意図的にであれ錯誤によるもんであれ)枉げられた歴史にもとづく「記憶(単数)の専制」に向かうようなことがあってはならない。複数ありうる「記憶」間の対話を通じて「将来を形づくる目標」(吉田秀和)を見定めてゆくこと。そのための基盤となる地層が、日本国憲法のもとで歳月に堪える岩盤を形成しつつあったのではないか。それを壊そうとする力に対して「老人であろうと若者であろうと」そして旧来の「改憲」「護憲」の仕切りをも越える抵抗ラインが姿を現し始めている。

と、陽一先生はその「岩盤」を今年に入り数万人規模の集会や国会前での国民運動で体感されたのだらう。そして最後の一節は言わずもがな、かつては憲法に対する意見は対立した小林節先生との立憲主義者としての協調なのだつた。敬服。
▼TPP合意(見せかけだが)。現在、日本が関税かけてゐる品目の95%が関税撤廃、これは2013年に国会でコメや乳酸品等関税維持を国会決議してゐるが(東京新聞によれば)これが守られゝば関税撤廃は93.5%だつたさうで政府はこの国会決議も守れず。

交渉の結果、農業分野におけいてコメ、牛肉豚肉、乳製品といった主要品目を中心に関税撤廃の例外を「しっかり」確保することができた。農業は国の基であり、美しい田園風景を守っていくことは政治の責任だ。生産者が安心して生産に取り組むことができるよう、若い皆さんにとって夢のある分野にしていくために我々も全力を尽くしたい。

と晋三のまやかし。「TPPは私たちの生活を豊かにする、私たちにチャンスを与える」と嘯くがコメは米国から無関税で7万トン輸入となるが「今後、国内対策で万全の措置を講じていく」と言ふが実際には輸入相当分を国内で買ひ上げ備蓄米にするわけで、これがどこの「関税撤廃の例外」なのか。TPPは「日本の国民の利益と経済主権を米国や多国籍企業に売り渡すもの」といふ代々木の志位氏の指摘に頷かざるを得ない。最初から明らかなことだが安保法制の国会強行採決の直後だと、安保法制とこのTPPがいかに表裏一体か、は明らか。目的は中国の牽制、日経で野上義二氏・元香港総領事が歯に衣をきせぬ芸風で「アジア太平洋協力の基盤に」と米国によるリバランス(再均衡)があり日本の役割きちんと指摘してゐるが皮肉的に!わかりやすい(こちら)。TPPだからと「餅は餅屋」で日経の記事よく読んでみたが社説で「サービス業でも日本のコンビニがマレーシアやベトナムに進出しやすくなる」なんて小学生相手か、お手盛り提灯記事(環太平洋 成長への決意:編集委員・太田泰彦)で

ルールさえ定まれば、次に何が起こるかは予測できる。誰もがリスクを取って飛び出せる新境地。恩恵を受けるのは大企業だけでなく、中小企業や個人事業者だ。TPPは日本社会を覆う「内ごもり」を破るカギとなるかもしれない。(略)人の交流と域内分業、投資で互いに相手を必要とする依存関係が深まれば、地域の安定は増す。軍事力だけで中国に対抗するのではなく、経済から安全保障を高める力がTPPにはある。

とお目出度いばかり。呆れて言葉もなし。

*1:今回のこの文章は久々に陽一先生の語り口は優しいが読解は難解な文章は80年代の岩波新書での先生の筆致のやう。このところ憲法立憲主義に書かれた文章は(物足りないほど)読みやすかつたが。その優しい語り口で難解な文章は、それまで専門書や論文一辺倒だつた先生が一般書でわかり易く書かうとした結果だつた、と先生のご子息から聞いたことがある。