富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

わが町、新宿

fookpaktsuen2015-06-07

農暦四月廿一日。快晴。昨晩、GabaNiteといふコンビニで売つてゐる「全天然助眠飲料」服してみる。寝つきがいゝといふか朦朧とするまに寝てしまふのは毎晩のことだが未明に目覚めちまふわけで今日はこの薬の所為か七時くらゐまで八時間熟睡。夜半も気温は摂氏30度近くで冷房を+2で微風でつけてゐて寝汗かゝぬこともあるのだが。酷暑警報のなかジムまで日陰/\と走りジムのトレッドミルで5kmだけ走る。太古の岡田屋で榴槤贖ひ帰宅して二房頬張る。昼に冷麦。午睡。田辺茂一『わが町新宿』読了。安田記念リアルインパクトに賭けたがレース先導であれぢゃダメ、でモーリス優勝。昨日入手のエリック=クラプトン1979年の武道館ライブのLP聴く。当時は私などクラプトンをギター上手な普通のロックとあまり関心もなかつたが今になつて聴くと面白い。そしてKing CrimsonLIZARDも。軽めの夕餉で新西蘭の3 Wooly Sheep 2014年飲む。ビデオニュースドットコムで木村草太氏招いての「現在の政府答弁では安保法制に正当性は見いだせない」見る。
▼木村草太先生の指摘:野党がさまざまな事例をあげて「この場合は武力行使ができるのか?」と問ひ質すしても晋三や防衛相中谷某「新3要件を満たせばできる」と回答。だがそも/\武力行使要件=新3要件なら「これは新3要件を満たすのか?」との問ひに「新3要件を満たせばそうだ」と答へてゐるに過ぎない、と。
改憲派憲法前文の「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」といふ言葉を非現実的と非難してきたが今回の安保法制では日本から攻撃しないといふ制約を取り払ひながら「敵国は後方支援の自衛隊を攻撃しない」だの「日本国内でテロを起こさない」など「敵国の善意を信頼したストーリーの上に自衛隊を動かそうとしている」と山口二郎先生(東京新聞)。確かに、晋三らもやはり「新憲法の子たち」か。
▼茂一さんの『わが町新宿』は震災で東都壊滅のあと俄かに活況呈し始めた新宿で書店開業の若き茂一さんの個性豊かな新宿回顧。坪内祐三が解説で述べてゐる通り大正までの新宿は文献少なくこれは貴重。その当時の新宿ののどかな様子や紀伊国屋書店に集まる文化人らの錚々たる顔ぶれと若い茂一の破天荒な「文化業」の記述は面白い、が1975年に産経新聞の連載もので茂一さんも熱心だつた新宿の警察やベタな新宿発展史的な部分は余り面白くない。いくつか備忘録的に書き写しておくと大正末期、現在の厚生年金会館のあたりにあつた「新宿園」といふ遊園地。劇場風の小屋「白鳥座」では来日したアンナ=パブロワが踊つたといふ。追分と角筈といふ地名。アタシには母方の墓が青梅街道沿ひの常圓寺にあり子どもの頃から祖母、母に連れられ墓参、寺の門前にちょき/\と超高層ビル立ち始め、墓参のあとに西口のメトロ食堂街の「つな八」でお昼、小田急、京王と買ひ物して更に東口に地下道潜り……で、そのあとは高校生から一人で悪所巡りとなるわけで新宿は、やはり心の故郷。今でも東都に戻ると必ず昼夜、麻布から足を運ぶのが新宿。昨年、東都で深夜乗つたタクシー運転手と話に出たが角筈が今でいへば歌舞伎町から大ガード、西新宿一帯まで角筈でどれだけ広い地名だつたか。ほてい屋ありき、で伊勢丹が後続でほてい屋合併は知つてゐたがほてい屋も元は四谷の呉服商。天ぷらの船橋隣りにあつた和菓子「もとはし」の羊羹・富貴泉。戦後の五十鈴やシュウマイの早川亭の話。柿傳の安田氏について。戦後兎に角再建された紀伊国屋書店の前を出版してほしい『晩年』の原稿抱へ毎日うろうろしていたといふ太宰。ハモニカ横丁の「魔子の店」に高見順火野葦平、散歩、亀井勝一郎内田吐夢田中英光安吾……。巻末に『紀伊国屋書店と私』の再録あり梶原季之「ハモニカ横丁の夢」秀逸。

わが町・新宿

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