富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

国際文化会館

fookpaktsuen2015-01-15

農暦十一月廿五日。早朝にホテル近くの常圓寺参拝。掃墓。小田急線で参宮橋。燈刻まで拘束されお仕事。氷雨。新宿のホテルで荷物引き取りタクシーで麻布鳥居坂の旅寓に下榻。麻布十番から南北線で目黒。Z嬢と目黒シネマ前で待合せ。Z嬢は今日の午後東京に着き羽田から目黒直行で目黒シネマで香港で見損ねた映画2本鑑賞。目黒シネマは今年5月1日から館内全面禁煙ださうで「お客様にはご迷惑をお掛けいたしますが」って、この映画館の芸風からして、これまではどれだけ煙かつたのかしら。晩になり風強まり傘が飛ばされさう。目黒といへば、で「とんき」でトンカツ飰す。ロースとヒレを一人前ずつ注文して食べ比べ。アタシはロース派。タクシーで麻布。麻布鳥居坂の旅寓に下榻。一昨日の朝日夕刊・連載「戦後70年」で田中康夫氏が「高度消費社会、漂流の始まり」で語つてゐるが写真にある通りインタビューの場所が国際文化会館。今かうして東都での常宿としてゐるが、康夫ちゃんの新刊『33年後のなんとなく、クリスタル』に此処が登場するさうでアタシにとつてはこの麻布鳥居坂の基地はそも/\康夫ちゃんが阪神大震災を経て信州での知事、国政に出る前のフリーな時代に噂真で連載の「東京ペログリ日記」で頻繁にデートの前の原稿執筆に呻吟と此処の図書館登場し、それで「此処って何処?」で調べて知つた場所。その後アタシは縁あつて国際文化には何も貢献もないが此処の会員になり今日に至る。今かうして此処の図書館でこれを書いてゐるのだから。高校生のときに、まだ一橋の学生で「なんクリ」で颯爽とデビューした田中康夫は、その作品がブランドカタログ小説と言はれたが学校をサボって行きつけの喫茶店でタバコぷか/\しながら一読してみると多くの注記はそりゃネットなんてない時代に都会の情報として背伸びする高校生には面白かつたが読後感は「なんて寂しい」物語なのか、虚無。この朝日のインタビューで康夫ちゃんは

なぜか当時は誰からも言及されませんでしたが442の注の最後には当時の厚生省が発表した合計特殊出生率と高齢化率の将来予測数値を記しています。20代半ばだった僕は、量の拡大から質の充実へ認識を改めねば立ち行かなくなると感じたのです。

と書いてゐるが高校生の少し多感だつたアタシには物語よりも最後のこの引用の長い「注」こそ、この小説で最もインパクトあり。同じ頃に読んでゐた村上龍の「コインロッカーベイビーズ」の舞台となる近い将来は少子化や高齢化が日本はこんなに進むのか、と覚悟したが、その厚生省の「衝撃的だった予測すら現在の超少子・超高齢ニッポンを踏まえて改めて眺めると随分と楽観的な数値だった」といふ。

高度消費社会に生きる消費者に、選択の自由や利便を与えてくれると思われたインターネットの普及は、いつしか私たちを束縛したり監視したり、更には合併と買収の連続で供給側の寡占化も進行し、「流通」ならぬ「配給」のような、選択の幅が狭められた息苦しい空気が“なんとなく”強まっています。
こうした中、日本は「黄昏」なのかもと悲観するのがつらくて逆に、ちょっぴり空威張りな“ニッポン凄(すご)いぞ論”が最近は幅を利かせています。
でも、夕焼けの名残の赤みは、夜明け前の感じとも似ているのです。スローフードを始めとして、身の丈に合った日々の生活を楽しんでいるように見えるイタリアやフランスは、日本の半分程度の人口。
「市場では数値に換算できないもの=価値ゼロ」と捉える金融資本主義的な発想からの脱却が求められているのです。
ただし、「トレンドを変えていくことで、50年後にも1億人程度の安定的な人口構造を保持することができる」と昨年6月に「骨太方針」を閣議決定した机上の空論的な“大本営発表”を、まずは改めるのが大前提だと思いますが。