富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

A Symphony of Lights

fookpaktsuen2014-12-12

農暦十月廿一日。朝日新聞朝刊一面トップで「香港デモ隊全面排除」。209人逮捕(最終的には249人)*1で占拠75日収束へ、と見出し踊る……が、実際には銅鑼湾の道路選挙は辛うじて続いてゐるし昨日の出来事は厳密にはバス会社等の提訴で道路占拠が不法と司法判断あり警察がそれを根拠に金鐘の道路占拠解除し抵抗する市民を検挙したもの。よって金鐘でも政府周辺での小規模の占拠継続*2。早晩に実際に現場検分してみると香港政府総部の正門?ゲート前に4つほどテント並び立法会入り口は敷地内にも拘らずテントや建物軒下まで占拠のまゝ。敷地内で?と思ふが建物管理は政府でも意思決定は立法会にあるので民主派議員の抵抗も考慮すれば立法会前の占拠排除には政府も慎重にならざるを得ず←日本では国会議事堂周辺で国会でなく警察の意志が働くわけだが。ぐるりと総部の周辺を歩き行政長官官邸に往くと警察もこゝだけは少しは警備厳重。歩道にフェンスあるが少し隙間もあるので通れるもの、と入つたら警備員に通行不可といはれ歩行者も一人見えたので「歩いてるじゃない」と言つたら関係者だと言はれ「でも通行禁止と張り紙もない」と言つたら付近の警官呼ばれてしまひ警官に通行禁止なら通行禁止と張り紙でもして注意促すべき、と言つたら「はい、はい、わかったから」とぞんざいな態度取つたので「それでも公僕か」と苦言して場を辞す。

一蹴即就的改變無異於癡人說夢,循序漸進方云正道。因此,年輕人改變世界,必須先改變心態,拋開不切實際的幻想與盲動,在明年區議會選舉落場試劍,以「首選族」身份競逐,或者以「首投族」身份投票,不失為改變世界的實實在在第一步。(信報社説)


昨日あれこれ香港で見物したことない/\尽くしで並べたが数年前から始まつたヴィクトリアハーバーの“A Symphony of Lights”もその一つ。偶然、タクシーの窓からとか、どこかのビルから垣間見たことのみ。今晩は周末の競馬に合はせ来港の放送作家M君夫妻と夕食の約ありお二人がこのライトアップされた夜景も見たいとご所望で折角だからアタシもご一緒。そりゃ綺麗……なのは「まるで香港に来たやうな気分」の夜景そのもので“A Symphony of Lights”は今一つ。このハーバー沿ひにそぞろ歩き途中でZ嬢も追ひつき尖東。かなり久々に東来順。涮羊肉。かなり久々に来たが菜單の値段も随分と高くなりエノテカで贖つた葡萄酒持ち込んだら開瓶費が1本あたり港幣350だといふ。山西省のGrace Vinyardの葡萄酒初めて飲んだのが此処だつたが当時、普及品が港幣200くらゐだつた記憶あるが今、ワインリストにあるのはTasya's Reserveだつたか港幣850に驚くばかり。M夫妻を常宿シャラトンまでお送り。帰りのMTRのなかで急にかなりの腹痛。腹瀉が我慢できず太古の站で管制室のベル鳴らしトイレ借用請ふと「左側のドアからどうぞ」とインターホン越しに言はれ鍵が開いたらしく鉄扉押して入ると管制室や站員の控え室等並ぶ廊下の先に個室トイレ2つあり。MTR站でトイレ借用は初めて。MTRのうち(旧KCR除く)Quarry Bayには実験的に公衆トイレ設けてはみたMTRだが因みに今月末に開業する港島線の西環以西の延長での站にトイレ相変はらずないのかしら。
▼上述の朝日で解説記事に、学生たちには大陸客の多さ、不動産高騰など不満など不満があり占拠したのは政府本部に近い金鐘を除けば「まさにブランド店が軒を連ねる」繁華街の旺角や銅鑼湾で「占拠で困るのは普通の香港人ではない」といふコメントもあり。旺角や銅鑼湾の道路占拠のあたりが「まさにブランド店が軒を連ねる」も言ひ過ぎだが、大陸客が困つたのは中共で香港自由行の許可多少制限した程度で占拠で道路封鎖の影響で通勤通学等困つたのは普通の香港人。たゞそれを許容するかせぬか、の話。東京新聞は中国総局長の論評で「怒る香港の若者らの要求は
毎日新聞の「自治の危機、世界に発信」といふ鈴木玲子特派員の記事が経緯から今後の方向性までよくまとめてゐる、が「自治の危機」って香港特区成立から自治の現状は何も変はつてをらず危機も何もないのだが。
▼代々木の不破哲三が議長引退後9年ぶりに街頭演説の由。京都で不破前議長も84歳で25分、安倍政権批判などされた由。
ノーベル平和賞受賞のマララさん「夢は首相」ですって。アララ。

*1:なんだか物騒だが北朝鮮中共ぢゃないので立法会議員や弁護士等大物は扱ひも丁重で大半の学生らは事情聴取のあと釈放され警察でボコボコにされるやうなことに非ず。

*2:朝日新聞は夕刊も一面で「香港戻ってきた日常」と記事にしてゐるが、この記事では「一方、立法会(議会)周辺は今回の強制排除の対称にはならなかった」もので「今も約60張りのテントが残る」と記述あり。