富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

帝国の慰安婦

fookpaktsuen2014-11-27

農暦十月初六。来客あり晩に北角の寿司加藤。偶然だが今日の信報で唯霊さんが「未享口福先飽眼福」と寿司加藤紹介あり。

「壽司加藤」是區區光顧了多年的街坊食肆,顧名思義這是一家主打壽司的日本料理店,店主人加藤一向站在台前親自操刀,凝聚了不少熟客。早一陣加藤突然退居幕後,吃慣吃熟的老客人都感到如有所失。可幸過了不久,他又東山復出上陣操刀,一切恢復常態。

▼晋三が宿敵朝日新聞のインタビューで

国民的な議論と理解が不可欠で、国会で3分の2の多数を形成することは簡単ではない。残念ながら3分の2を形成するために議論を進めていこうという機運が、まだ醸成されていないのも事実だろう。

と宣ふ。あれれ……あれほど憲法改正命だつたのに何よこの反故ぶり。むしろ自民党大勝機運で憲法改正に必要な3分の2を第三勢力含め形成することが晋三に課せられた祖父からの、そして自民党の宿願なのでは……。野球で96番のユニフォーム着て始球式やつてゐたころのノーテンキさも何処方にか失せ、今ではとにかく長期政権しか頭にないのかしら。
朝日新聞の論壇時評で高橋源一郎さんの「孤独な本 記憶の主人になるために」大切な内容で三度も読み返す。
朴裕河著『帝国の慰安婦』 慰安婦問題で日韓の深刻な、修復不可能なほどの亀裂。「慰安婦は単なる売春婦に過ぎない」と「慰安婦たちは強制されて連れて来られた性奴隷だ」と対立する観念。朴曰く、これまで慰安婦たちは経験を淡々と話してきた。しかしそれを聞く者たちは、それぞれ聞きたいことだけを選びとってきた。それは、慰安婦問題を否定してきたひとでも、慰安婦たちを支援してきたひとたちでも、基本的には変わらない。さまざまな状況を語っていた証言の中から、それぞれ持っていた大日本帝国のイメージに合わせて、慰安婦たちの〈記憶〉を取捨選択してきたのである。「朝鮮人慰安婦」たちを戦場に連れ出した「責任」と「罪」の主体は、帝国日本であるとしながら、同時に、実際に彼女たちを連れ出した朝鮮人同胞の業者と、そのことを許した「女子の人生を支配下に置く家父長制」(日本人の場合も同じだ)を厳しく批判する。「謝罪」すべきは帝国日本だけではなく朝鮮側にもゐる。それの失念は「忘れるべき「記憶」だったから」。日本人慰安婦の「代替物として」戦場に送られた朝鮮人慰安婦にとつて日本人兵士は「時に(身体と心を蹂躙する)激しく憎むべき存在であり、時に(同じように、戦場で「もの」として扱われる)同志でもある。その彼女たちの声は日本と韓国、どちらの公的な「記憶」にとつても不都合な存在」「何よりも「性奴隷」とは「性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽してしまう」言葉で慰安婦の全人格を受け入れない=慰安婦たちから「自らの記憶の〈主人〉になる権利」を奪ふ。「他者が望む記憶だけを持たせれば、それはある意味、従属を強いる」と。
テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない』より。

わたしたちの生は過去の暴力行為の上に築かれた抑圧的な制度によって今もかたちづくられ、それを変えるためにわたしたちが行動を起こさないかぎり、将来もかたちづくられつづける。過去の侵略行為を支えた偏見も現在に生きつづけており、それを排除するために積極的な行動にでないかぎり、現在の世代の心のなかにしっかりと居すわりつづける。

▼今日の信報、林行止專欄が民主化運動の道路選挙の終焉に向けた「三權分立踩界? 權位失正混賬!」より。
梁振英政府「依法治港」,「鬥」(爭)志昂揚,「三子」的知法犯法,破壞不了法治;特區政府在「僥倖不息」、「功能不窅」之後再來一招「法力無邊」,香港法治根基動搖,香港人嚥得下這口氣、熬得過這個關口嗎?領導「雨傘運動」的學生領袖被捕,群眾不忿之情會就此按捺下去嗎?已進入管治無方混亂之境的香港,能夠承受多少這樣的摧殘?

帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

過去は死なない――メディア・記憶・歴史 (岩波現代文庫)

過去は死なない――メディア・記憶・歴史 (岩波現代文庫)