富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

善の遍歴

fookpaktsuen2014-08-15

農暦七月二十日。実家で母が使つてゐるiPadが気がついたらカメラ内蔵もない初期の機種のまゝ。iPadで紙面ビューワーで新聞が読める、字も自在に大きくできる、といふと母も関心あるが自宅で購読してゐる朝日が読めるやうに出来ないのもiOSのバージョンが5.xで止まつてゐるからで早速ビックカメラに往きiPad Airに買ひ替へ。プリンタもEpsonWi-FiやiPrintの使へる簡単な機種を購ふがプリンタに「窓」がなくドライバのインストールや自宅のWi-Fiに接続させるにはUSBのプリンタケーブル必要で多少手間取る。手許のiPadからプリンタが自由自在に動くのに母は驚くが、こちらはデジタルに対応する高齢者に驚く。昼に近くのフレンチ。冷菜と温菜それぞれのオードヴル、スープ、魚料理のあと口直しのシャーベット、肉、デザートと珈琲……これで2,500円だといふ。日暮れに日立の沿岸にあるスーパー銭湯。浴室、露天風呂から太平洋一望。この一帯も311の津波被害あり。簡単に丸亀製麺讃岐うどん(香港より出汁が濃い口なのは香港が西のオリジナルなのかしら)。自宅に戻り熟れ酢と麦焼酎の中々。高橋睦郎の『善の遍歴』読む。新潮社、1974年の初版本、装画は横尾忠則。睦郎本人の投影のやうなゼンといふ若者(法界善財)が北九州から昭和30年代の東京に故郷から逃避するやうに出てくるところで話は始まるのだが無賃乗車の夜行列車で車掌=仏の化身に弄ばれることから始まり通勤電車での中央線でいえば下りの先頭車両での衆道痴漢、そこで同じ電車に乗ることを命じられ僅かな金銭を得て糊口を凌ぐこと、映画館での好事家相手、公衆便所での糞尿世界←これが仏界のやうに映るから……と「業」が続くのだが池袋のバーで「売り」までが未だ現実的な世界で仏の導きのまゝ展開される世界は「いろは集団」の編あたりからがもう幻想的で(非現実的、なんて言葉は使ひたくないが)アタシもついていけず。睦郎さん地震は門司の高校卒業後、福岡教大に入り国語教師目指し在学中から詩を作るが卒業直前に結核となり2年の療養経て1962年に状況、広告業界に入り詩人としては三島由紀夫らの知遇と賛辞得てゐるのでゼンの日常よか現実的ではあるが精神的には、また好事家のその世界での椿事についてはゼンの体験は睦郎のものかしら。
▼「安部晋三首相は靖国神社に参拝するなど相手の意に沿わないことばかりやっておる」と村山富市元首相(都新聞)。集団的自衛権であれ武器輸出三原則の廃止であれ「歴代政権と違う反動的な政策」進めており集団的自衛権も「歴代政権が維持してきた憲法解釈を一内閣で変えるのは烏滸がましい話」で立憲主義国民主権否定する話は赦さない、と。村上談話は自民党民主党も談話継承と言つてきて「国際的な公約になっているので見直すのは不可能」と。さすが。同じ都新聞でいとうせいこう氏と詩人の金子兜太氏の対談がいゝ。「梅雨空に「九条守れ」の女性デモ」の掲載不可が話題になつたが自粛といふ形が「下から自分たちで監視社会みないにして自分たちを縛っていく」これが実は戦前も「上からの抑へ付け」ではなく社会の事実、といとうせいこう。国分功一郎の引用で「自由を抑えきれないので自分たちから手放してしまう人たち」が、さういふ人たちは自由を求めて抵抗してゐる人たちが鬱陶しいので、その人たちを攻撃するわけで、権力がやならなくても「自動的に自由を求める人たちの声がだんだん小さくなってしまう」。

善の遍歴 (1974年)

善の遍歴 (1974年)