農暦七月十八日。台風の雨も上がり快晴。ホテルの近くに朝飯屋見当たらず駅東口まで歩き懐かしい「めしの半田屋」。昔はこの飯屋がアタシの生命線。米飯ととん汁で180円くらゐだつたはず。随分とキレイになり麺類まで拡充。一旦ホテルに戻り出直して仙台駅を10時過ぎの仙山線に乗る。仙山線も今では7両編制とは驚いた。お盆でかなり込み合ふ車内。だが年寄りに席は譲らない、2人かけの座席に荷物置き占拠するオヤジ、女子……中国人のマナーの悪さ嗤ふ前に大丈夫か日本人。常識もなき気違ひ少なからず。仙台市からはだいぶ離れた、といつても電化して電車となつた仙山線で仙台駅まで30分の陸前落合のあたりもマンション建ちSuicaの世界。奥新川まで仙山線が谷底の川と縫ふやうに走る絶景。昔、何度か通つた面白山のスキー場。山寺で、もう山形といへば夏の暑さがぞっとするが母から電話あり妹の車で、もう山形に着いたといふ。上山温泉で合流するつもりが「折角だから山形でお昼にお蕎麦食べてから行かうと思つて」と。同じことを考えてゐたとは。仙山線が山形の一つ手前、羽前千歳で奥羽本線と合流するが隣の線路を新庄発の上りの山形新幹線が並んで走つてゐるのが、やなり慣れない、不思議な光景。しかも単線を走る新幹線。踏切も。十一時半前に山形着。タクシーで蕎麦の庄司屋。すでに炎天下、外に行列。母と妹は早めに入つて厚焼き卵頬張つてゐる。「板」で蕎麦を飰す。乃し梅で馳名の佐藤屋で和菓子購ふ。山形の繁華街から旧県庁舎(文翔館)など車窓から眺め上山へ。上山温泉の名月荘に投宿。離れのやうに配置された客室の一番奥の「茜」といふ部屋に通される。ダイニング、居間、寝台の置かれた寝室、庭に面した露天風呂……と見事な配置。風呂に浸かり無聊なる時間の心地良さ。お盆の客に中庭に面したラウンジで啤酒などお振る舞ひ。客室のダイニングで懐石風の晩餐。男山の生酒。晩遅く風呂に行くとラウンジがバーになつてゐるのだがバーテンダーは不在でウヰスキーなど何本か置かれご自由にお飲みください、飲んだ分だけ伝票に記載して帳場へ、ってマッカランに響、白州の、それも1973年まであり……これが自己申告とは……良心の呵責。書庫には地元の茂吉や北杜夫の全集、井上ひさしなど並んでゐる。北杜夫の「酔いどれ船」から「三太郎」の話読む。窓を開け虫語愉しみつゝ眠りにつく。