富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

フィッシャーとブダペスト祝祭

fookpaktsuen2014-03-07

農暦二月初七。今朝も気温は摂氏15度。寒い。朝の学校に通ふ学生多いバスの車内で、なぜこんなに入口(前扉)付近に固まるのか、昆虫の習性でも見てゐるように不思議。降車は中扉なのだから、その近くに群がるほうがまだ理がある。後部座席は立ち客もをらず、かなり空いてゐるのに。晩に中環からスターフェリーで尖沙咀。文化中心。今年の香港芸術節アタシにとつては最後のプログラムでIván Fischer指揮のブダペスト祝祭管弦楽団の演奏会。かなり期待で「とちり」の「り」の中央のお席。最初の1曲がボロディンの「韃靼人の踊り」で、少しゆっくりとした演奏で、これがまぁ上出来。本当に今晩このフィッシャーとブダペスト祝祭が聴けて良かつたとハナの1曲で感動しようとは。この曲、初めて聴いたのは小澤征爾&市俄古のLPで1969年の録音。続いてRenaud Capuçonのヴァイオリンでグラズノーフのヴァイオリン協奏曲イ短調。このカピュソン君使ふヴァイオリンはグァルネリの1737年製でアイザック=スターンが使つてゐたデル・ジェス“Vicomte de Panette”ださうな、凄い唸るやうな低音がステキ。中入り後はベートーヴェンの7番(のだめ)。今晩は一人での鑑賞で演奏会跳ねてからフェリーで中環に戻り寒い季節風のなかエスカレーターで荷里活道まで上がり百子里にあるClub 71へ。この酒場、かつて蘭桂坊にあつたClub 64で、百子里といへば19世紀末に孫中山の革命に繋がる私塾輔仁文社の跡地。さうした話なら、さぞや今でも民主や自治を語る拠点バーかと思へば、まぁ蘭桂坊、粗呆の流れでガイジンと酔客騒がしい酒場と化し、オーナーである民主運動の大家姐Grace女史があんな連中のために忙しく麦酒注いでゐるのはおかしいだろ。かつての運動家系関係者の肩身も狭し。此処をアタシが初めて今晩訪れたのは今は地元の大阪拠点に映像撮影されるH氏久々に来港で再開のため。もう二十年も前にH氏がエスカレータ沿ひのSherry街、アタシが一筋奥のPeel街に住んでゐたことあり懐かしく昔を語る。H氏夫人のV嬢と三人でSense 99といふヱリントン街にある会員制のギャラリークラブ……って要するに尖った遊び人集まる闇酒場。昔の中環でVisageといふ美容室が夜、閉店後にジャズクラブになつたやうな時代も懐かしい。珍しく半夜三更まで酒飲み。タバコが煙い。
▼中環𨉷記酒家相続騒動。二代目甘健成(故人)未亡人と子女が二代目亡きあと𨉷記酒家掌握する伯父の甘琨禮相手に起こした?記の経営母体精算に関する裁判。上訴審はこの資産会社が海外にあり兄弟の逝去で持ち株の譲渡など持ち株率に変動あること自体は問題ないとして訴へ退ける判決。健成翁亡きあと𨉷記に一度も飰してをらぬアタシは個人的にどうも甘琨禮が好きになれず。
▼都新聞夕刊に童謡詩人まど・みちお翁追悼の文章あり。書き手は「まど」の弟子である同業の矢崎節夫といふ人。「宇宙に法則があるように、まどさんには全てのものはそのままですばらしいという、まどさんの法則がある。どんな小さいものにもきちんと向かいあう」と、この指摘な成る程と思ふが「ぞうさん」の歌詞で鼻が長いと「悪口」を言はれても母さんも長いのよと「誇りを持って」答えてをり、ヤギが郵便を食べてしまふのも誰もが食いしん坊であること、それはわかるが「この瞬間にも飢餓で苦しんでいる人がいること」を気づかせてくれる……と。聊か飛躍ぢゃないかしら。「ぞうさんぞうさん、お鼻が長いのね」が悪口?、「そうよ母さんも長いのよ」が誇り?……象を見て鼻が長いと思ふのは特異なものへの自然の関心であり「そうよ、母さんも長いのよ」の答へに無垢の力を感じてしまふのはアタシだけかしら。「黒ヤギさんからお手紙ついた」は永久運動の無慈悲であつて飢餓のことなんて誰も考へないだらうに。