富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

憲法の番人か安倍政権の番犬か

fookpaktsuen2014-03-05

農暦二月初五。東京からのお客人に人形町壽堂の黄金焼きいたゞく。贈答の菓子でその人の格が決まる。数年前、羊羹が好きだと言つたら山崎パンの栗羊羹、それも山崎パンだつて栗入りの特撰羊羹二本詰め合せ4,600円(こちら)なんてのもあるのに、こともあらうに300円の栗蒸し羊羹(300円)を「はい」と渡されたこともあり。本日お客人と昼は跑馬地の英皇駿景酒店の評判の川菜、晩も跑馬地の竹園海鮮酒家に飰す。昼は近くの日系幼稚園のお母さん30名ご一行に遭遇。とにかくお客人の芸術家の話が面白い。一流の話芸と気配り。ワインの香りの話となり土だとかコケだとかチョコだレモンだとワインの味覚を微妙なコンプレックス表現するが、あれをどうせ誰もわかんねぇなら「家の軒下のシロアリ、右足の足あとのにほひだね、これは。左足じゃない」とかヴィンテージなら「ババアの腰巻きのにほひ」とか、そんな表現があつてもいいんぢゃないか、と笑ふ。
▼「国益を守る計算高さを」と毎日新聞の連載「保守と歴史認識」4で内田樹先生。なぜ晋三が短絡的発想になるのか?といふ記者の問ひに

民主制は政策決定にむやみに時間がかかる。時間がかかるかわりに集団全員が決定したことの責任を引き受けなければならない。政策決定が失敗した場合でも、誰かに責任を押しつけることができない。それが民主制の唯一の利点だということを首相はたぶん理解していない。そのような政権運営を可能にしているのは国民的規模での反知性主義の広がりだ。教養とは一言で言えば、他社の内側に入り込み、他者として考え、感じ、生きる経験を積むことだ。死者や異邦人や未来の人間たち、自分とは世界観も価値観も生活のしかたも違う他者の内側に入り込んで、そこから世界を眺め、世界を生きる想像力こそが教養の本質だ。そのような能力を評価する文化が今の日本社会にはなくなっている。

▼晋三子飼ひの内閣法制局長官小松某、参院予算委で共産党の小池議員から官房長官菅某へのイラク特措法やテロ特措法の条文解釈の質問なのに小松君答弁に立つたことに「憲法の番人なんだから安倍政権の番犬みたいなことをしないで下さい」と指摘受ける。その通り。それに対して小松君は「国家公務員にもプライバシーや名誉に関わるものを含め、憲法上、基本的人権が保障されている」と反論。珍しく憲法に頼るとは(嗤)。憲法といへば長野県千曲市や神戸市で九条の会など市民団体が護憲派の学者招いた講演会を企画、市など後援以来したところ「政治的中立を損なう可能性がある」として市側は後援拒んだ由。過去は後援あり。憲法憲法で「憲法を守る」は政府、地方自治体、国民の当然の義務。その護憲で「政治的中立を損なう」とは……。それだけで間接的改憲支持、で明らかに憲法違反に思ふのだが。
▼中国四大護法の一人、中共御用学者の許崇徳逝去。

さすが日共の志位さんがお好きなのはショスタコーヴィッチか。