富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Orquestra Sinfónica de São Francisco

fookpaktsuen2012-11-07

農暦九月廿四日。立冬。まだ夏の如き暑さ。Z嬢と朝十時半のジェットフィイルでマカオ。バスで氹仔。いつものXiolas O Castiçoで葡萄牙人の伯父さんたちに混じり昼餉。タコのサラダ、蝦のコロッケ、スープとメインは、なぜ豚肉と浅利、それに酢漬けの野菜が合ふのかしら、と不思議な皿料理。赤葡萄酒。この氹仔の飲食店街近くのスーパーで、いつも往く店とは別に「大昌」といふ、どちらかといふと業務用の食材や料理用品売る店で葡萄牙の易い食器など揃つてゐるとZ嬢情報ありオリーブ皿、オリーブを盛りつける○と食べて種を捨てる○のある「∞字型」のものを一つ購ふ。スーパーの前に小さな始発のバス停あり37番だつたか小高い丘にある澳門大学に上がりぐるつと構内一周して下りて来る通学用バス路線ありバス停はわずか四、五カ所で、これに乗つて周遊。2パタカ程度で眺望も面白い。このスーパーとバス停の近くにCTM(澳門電訊)の服務中心があつたのでプリペイドSIMカードのactivationをばスタッフにやつてもらふ。フェリーターミナルで購入のSIMカード、挿入すると通話は出来るのだがブラウザやメール機能が働かず、どうやらモバイルデータ通信といふ設定で何かいち/\設定変更してやらないといけないらしいが、かういふことが自分でさらり、と出来なくなつたのが即ち老化。職員の娘さんはものの1分で設定して呉れた。バスで市街に戻る。セナド広場から漫ろ歩き果欄街の洪聲ココナツ屋でシャーベット頬張り裏道を抜け夕方に何東図書館。ここの中庭のテーブルで真面目に勉強する中学生男子のグループ幾つかに混じり読書、書類整理。此処が何とも心地よい。涼風。早晩のバス混雑のなか沙梨頭仁慕巷の六記粥麺。軽く雲呑麺と蝦籽撈麺、米通鯪魚球飰す。バスでホテルリスボア。ここから新市街をば文化中心まで三十分ほど歩く。澳門国際音楽祭。Orquestra Sinfónica de São Francisco(桑港交響楽団)の演奏会。明日は香港で今日の香港文化中心はツィマーマン様のピアノリサイタルもあり本来なら今日が後者で明日が桑港が順当だが澳門の公演が先に発売となり音的には香港文化中心より澳門文化中心の方が百倍よろしく断然こちら、と澳門に来た次第。RTHK Radio-4のジョナサン=ダグラス氏も今晩はこちらに、で尊顔拝す。で演奏会なのだがZ嬢が「いつもの違ふ……」と開場のころに察したのは「いつもより葡人が少ない」ことで、つまり「絶対にクラシックはあまり聞いたことのない」chinêsが目立つ。何か厭な予感……なのは一曲目がプロコフィエフのピアノ協奏曲2番でピアノは北京出身のWang Yuja(王羽佳)嬢なので当然のやうに「愛国的」「民族的」観客が多い。客は主賓座席は澳門政府の小役人が目立ち、少なくても澳門中聯辦の共産主義者たちぢゃないだけマシか、と思つたが大間違ひ。この小役人どものまぁ野暮なこと。明らかに関係者ご招待で坐つたものの知己の小役人に誘なはれ音楽会は捨て明らかに食事に!往く輩、小役人からチケット貰つた成金、完売の一般席の中央でポツ/\と目立つ空席……これで絶望的な予感のなか、いつも素敵な指揮のMichael Tilson Thomas師に誘なわれ王羽佳が登場。これまでも何度かボンドガールかショーガールのやうに奇抜なセクシーなステージ衣装で物議かもすと聞いてゐた彼女だが今晩も肩から脇腹まで肌を露にスリットは太腿までエロな大胆な衣装でご登場の25歳はお色気の勘違ひ。頭が舞台に落ちた?と思ふほど急な挨拶も躾が悪い。で驚愕のプロコフィエフの2番はオケの音を聞いてゐない、といふか本人は聞いているつもりでも聞けてゐない。MTT師も何だか彼女に勝手に弾かせてゐるやうで細かい指示もせず。あの小柄でリズミックな第二主題からカデンツァにかけ、あれだけ大きな音を出せるは立派だし、そりゃ大したもの。だがアンサンブルとは何か、が全くわかつてゐない勝手な演奏。第一楽章が終はると(なぜかこの時だけ拍手が起きなかつたのだが……笑)なか/\演奏始まらずステージを見るとヴィオラ奏者が「まだ、まだ」とMTT師に目配せしてゐるので何か、と思へば数十人の遅れて来た客の入場が続き結局、指揮者は待ち切れず客の着座待たず第二楽章始める。楽章が終はる前のピアノのソロで「あれ、こんなフレーズあつた?」と思つたら見事にフレーズにかぶつてゐるもののアタシの前の小役人①の携帯が鳴つてゐる。「なぜここで?」の大きな拍手のなか、まつたく何つてこつたで第三楽章のアレグロモデラート。MTT師もあまりのピアノと客層に動顛されたのかしら(何せこの東アジアツアーは今日が初日)、思はず振つてゐた指揮棒を木管の方まで高く弧をかいて飛ばすハプニングあり。これでアタシの前の携帯オヤぢの隣のつまならさうだつた小役人②が面白がつて小役人①に演奏中なのに「あれ、これ」と面白可笑しく話しかけるので肩を叩き「黙れ!」と注意。また楽章が終はると拍手鳴り止まず。アタシは楽章毎に拍手する、といふ慣れぬ客の無作法をば嗤ふわけではない(十分に嗤つてゐるが)。だが、この第3楽章、本当に美しく静かに終はるもので、だからその静寂から第4楽章のフィナーレの刺激的なフレーズの出だしを聴きたいのだ。それをあの拍手が邪魔するから不愉快。隣には貧乏揺すりが坐るし最悪。貧乏揺すりは入場お断り、とか出来ないものか。そして最後、今晩の最悪はコーダでのピアノと管弦楽の「これでもか!」の聴かせ合ひの部分でピアノが下手したら半テンポくらゐ合つてゐない。あり得ない。あの優しいMTT師が全くピアノに指示を与へてゐない……そのまま驚愕のうちにプロコフィエフ的終末?迎へる。民族的、愛国的な拍手のなか王羽佳の頭ぐわん/\の挨拶。ピアノソロのアンコールなし。当然だ、それで良い。中入りでとにかく心を落ち着かせラフマニノフの2番に。もう楽章毎の拍手には驚かないやうに。こんなものだ。愛国的、民族的な客たちは、この「わけのわからない」曲に飽きてうと/\。それでいゝ。たゞアタシからは死角になつてゐたがZ嬢の斜め前の小役人③は演奏中ずつと携帯の画面で遊んでゐたさうな。紙でも丸めて投げてやりたかつた、とZ嬢。ラフマニノフの2番はアタシの好きな楽団と指揮者で期待したが一番の出来は第2楽章のアレグロモルトで第3楽章のあのアダージョが一寸、落ち着かないといふかテンポも幾分早めで何だか。第4楽章は中間のアダージョ以降は前楽章の動機や旋律が何だか明確に表現されず、僕は暑いんだか涼しいんだかわからないなか風だけが強い今日の天気を思い返した(と秀和さん風に)。アンコールは中国の景気のいゝ曲の1960年代風のアレンジ、それにアルルの女ファランドールに客席から「ブラボー!」と客の多くが立ち上がつての拍手喝采ラフマニノフの第4楽章からファランドールまで完ぺきに手を抜いていましたよ、と思ふアタシたちは何だか残念。このツアーはこのアト、明日が香港、台北から上海、北京をまわり最後は今月下旬に東京。サントリーホールのステージでこのオケは楽章毎に拍手もしないし咳も嚔も控へる観客を前に「嗚呼、やはり東京が最高」と沁々思ふのでせう。日本が誇れるのはこんなことくらゐ。ちなみにプログラムはこのプロコのピ2とラフ2と、もう一つはマーラー5があるが、東京での公演は8月の時点でピアノとの合奏曲がショスタコーヴィチのピアノ2からラフマニノフパガニーニの主題による狂詩曲op.43に変更になつてゐる。アタシはピアノが王羽佳ならショスタコーヴィチのピアノ2より、このパガリーニ主題の狂詩曲に変更したことはMMT師の慧眼である、と思ふ(最悪の状況回避といふ点で)。マーラー5も聴いてみたいが、今の桑港響はどちらかといふとラフマニノフやドビッシーも面白いと思ふ。演奏会終はり愛国的民族主義者たちが王羽佳のサイン会に並ぶのを横目に、フェリーターミナル行きの送迎バスも出てゐるやうだが少し頭を冷まさないと香港に戻れない、と文化中心から夜風浴びつゝ今週末?のマカオGPに向け沿道に観客席など設へられた殺伐とした道をフェリーターミナルまで漫歩。深夜十一時のフェリーで香港に戻る。
▼飲食店や公共の室内が全面禁煙になつたマカオ。この日本語の警告。どうもタバコ吸つてゐなくても喫煙者は禁煙指定の場所にゐるだけで処罰されてしまひさう(笑)。
蘋果日報に「肛門塞銀法」なる奇習の記事あり。清朝のころ朝廷の戸部庫より国庫の主たる銀が不法に減るので、こゝで金銀担ぐ役夫らは全裸で働かされてゐたが、それでも国庫の銀が減るのは役夫らが肛門に銀子をば忍ばせて、の運び出し。その秘技?習得のため鶏姦に始まり鶏蛋から鴨、鵝、鉄丸まで用ゐての直腸拡張の苦あり、と。書き手の曾志豪は「新中國的貪官,只須動動腦筋,收穫何止塞肛門的千百萬倍!可見就算做賊,也講究技術含量,精的貪污找門路,笨的貪污塞肛門。」と〆る。新中国の貧官は頭を働かせ悪知恵で肛門塞いで、の何千倍もの公金をば横領する。頭のいゝ汚職は(横領できる)門路を找がしバカな汚職は肛門を塞ぐ、と。
▼「エマニエル夫人」のシルヴィア=クリステル嬢の死去でエコノミスト誌のobituaryが秀逸(こちら)。あの映画が封切られた当時、日本では成人映画も街角のポスターは裸体なんて当たり前に出てゐて、アタシの家の近所でも小学校の肛門の横に地元の映画館のポスター掲示広告ありエマニエル夫人もにっかつの浪漫ポルノも堂々とヌード掲載されてゐたもの。それで社会が荒れ青少年が不道徳になつたわけでもなく、あっけらかんとした時代。それが街角からヌードポスターが剥がされ青少年がエロから保護されるにつれ世の中、反比例するやうに病んでゐるから。