富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

青山繁晴『ぼくらの祖国』読む

fookpaktsuen2012-04-14

農暦三月廿四日。朝、沿岸走る。昼前に官邸に往きご執務。突然とても気になり名刺整理。名刺フォルダーのなかもぐちゃ/\で必要な名刺は抜き出し、それが新しく貰つて未整理の名刺に混じり賞味期限切れの名刺も別に何百枚もあり。おそらく名刺の本人も持つてゐないであらう二十年近く前の転職前の名刺なんてのもアタシは几帳面だからきちんと留つてある。それを二時間以上かけて整理。とにかくアップデートの名刺以外は捨てる。お世話になつた方や印象に残る、顔と名前の一致する方の名刺はお別れする最後の肩書きの名刺のみ残す。故人となられた方の名刺もあり、それはそれで物故者フォルダに。こゝ数年は蘋果電脳のアドレスブックの機能拡充でiCloudで一括管理出来るのが重宝でもあり、電話も仕事で急な時以外はかけないので、事実、その人のメールアドレスさへわかつてゐれば不自由ないのだが。帰宅して夕食はヨーグルト味で鶏腿肉のソテー。Vasse FelixのCab Sauv 08年飲む。青山繁晴の『ぼくらの祖国』(扶桑社)読む。カルト本。兎に角この青山先生本人にとつて日本の出版史上重要な「祖国を知らない若者たちへ」の本は、その書かれてゐるコトの重大性ゆゑ国家権力が?某国の特務が?青山先生のパソコンのファイルを二度にわたつて破壊するほどの攻撃を受け(嗤)、それを越へて上梓されたほどの力作=カルト本。敗戦で<祖国>を失つた日本に我々は育ち、そこで東日本大震災と核禍、硫黄島の英霊の存在、エネルギー資源に乏しい日本に活路を見出すメタンハイドレード……など/\我々が知らない真実を青山先生が殊に若い世代に教へて下さるカルト本。結局のところカルト本。それにしても

この祖国が滅びずに続いてきたからこそ、ぼくらは互いのきもちをおなじ言葉で伝えることができる。絵や音楽や文字という文化も、祖国によってしっかりした共通の根を持つから、きもちを自由自在に表すことができる。ぼくたちが、この大地に足を踏みしめて生きることができる土台が、祖国なのだ。

……って、香港の民建聯の「祖国あつての」キャンペーンぢゃあるまいし社会人類学の最初の講義で「かういふ誤解」の例にされさうな呆論。国家がなくても同じ言葉で文化の共有が出来ることは華僑や猶太人を見ればわかり通り。そも/\「祖国」と現実の「国家」の違ひの理解にも怪しいところあり。祖国*1はアタシにとつての1990年まで住んでゐた日本であり、現実の政治体としての日本とは別でいゝわけで、その国が滅んでも「祖国」は永遠に遺るもの。祖国は滅びても滅びなくても祖国は祖国。祖国愛に訴へて、今の日本をどうすべきか、硫黄島で国家のために命を失つた英霊たちの御霊に……といはれても、ねぇ。樋口陽一先生の国家論であるとか、萱野稔人の『ナショナリズムは悪なのか』でもいゝが、読んでお勉強してほしいところ。

ぼくらの祖国

ぼくらの祖国

*1:①祖先以来住み来った国。自分の生まれた国。②国民の分れ出たもとの国。本国。【広辞苑第五版】