富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

憶えていなくちゃならなかったの?

fookpaktsuen2011-09-03

九月三日(土)朝は雨。雨が歇むの待ちジョギング。今日もきちんと五粁走る。朝から麥奴、肯特基は勿論のこと地場の食肆で朝から焼臘とかかなり高カロリー脂たつぷりの朝食にかなりの客。脂を採るにしても昔の早茶で一盅两件、大陸でも葱のスープに油條放って、とは食環境も違ふのに。ジョギングしながら、だから言ふわけでなく運動しなくてもアタシは朝食はパン一枚に果物と無糖豆乳に珈琲なので。素麺の昼餉。午後遅く湾仔。華潤大厦で「孫中山與梅屋荘吉」展。主催が中華総会と日本商工会議所なのは辛亥革命百周年でこの「孫中山與梅屋荘吉」は上海万博に合わせての企画。それが渡佐回りで香港へ。長崎出身の梅屋荘吉(1868〜1934)が香港での写真館経営、シンガポールでの映画事業興し成功したとはいへ、たかだかそれで現在の価値で1兆円といはれる資金を孫文の革命に投資できたとは。政商といふにはさういふ立場にもなく(当時の明治政府や清朝とチャンネルなし)今でふフィクサーにしても原資が足りず、が不思議。資料は当時の年表と写真、手紙の写しなどで宋耀如が娘たち(慶齢と美齢)連れ東京に遊び孫文と梅屋邸で革命計画進める頃の日本の公安警察による宋家族の克明な尾行メモなど面白いが史料の量に比べ展示会場が広すぎ。がらんとした会場の中央に場違ひな大きな雛壇。結局、孫文と荘吉の革命熱より香港の土共が鳩まり記念写真撮るだけの場所と化してゐる証左。それにしても孫中山中共は上手に使つてゐる。この中共基地たる華潤で何だか外で行列あり、きつとこの辛亥革命展への親中土共団体の動員なのか、と思つたが会場は閑散。で実はこれがペニンスラホテルの月餅の引換券での頒布会場への行列。かつてのエクスクルシーヴな月餅も何処がどう引換券配つたのか、どう見ても半島酒店で予約したやうな客でない連中相手に、左丁山先生曰く
半島月餅以前都好暢銷,但冇今年咁緊要嘅噃,為何如此?秘書 V以往年年預訂半島月餅,但去年已經唔買,因為佢感覺到月餅退步咗喎。左丁山亦食過半島月餅三年,去年卒之放棄,原因係家人認為半島月餅非月餅,只是「奶黃棋子餅」,又唔係咁好食。(八月廿二日、蘋果日報
なのが現状。湾仔からスターフェリーで尖沙咀。月餅に触発され久々に半島酒店。ロビーのカフェでの下午茶に五十人余の長蛇の列。恐る/\樓上のバーに行くとロビーで並ぶ必要ないと知る熟客でバーラウンジも下午茶の光景。カウンターはどうにか酒客のみ、でドライマティーニ二杯。バーテンダージャケットのチーフと黒服マネージャーのそれぞれのマティーニだつたがアタシのほうが上手かしら。日本除けばホテルのバーでバーテンダー諸君の緊張感の無さは余りに悲しいこと。数ヶ月毎に訪れると給仕で旧知は一人もをらずの枯野なり。Z嬢とTom Lee楽器店前で落合ひZ嬢が現金券持つてゐたチャーリーブラウンカフェで軽く夕食。太空館。大野一雄先生の映像“O, Kind God”(親切な神様)見る。2000年に腰を痛め車椅子生活になつてからの手で踊る先生の姿。記憶も朧げになり記憶の忘却を「憶えていなくちゃならなかったの?」と義人さんに呟く可愛らしさ。老人力すら超へた「力」以上のもの。この映像作品のプロデューサーにMさんのお名前。もう十五年以上、否、もつと?ご無沙汰。大野先生が奥様と義人さんと香港にいらっしゃって公演は、まるで数年前のやうな記憶だが1993年のこと。
▼ジョギングのあと陋宅に戻る途中で東区議のC議員に遭遇。何とも「デモらしい」全転向型の格好は今日が八一八の香港大学警察横暴抗議デモ。標的は警務處長の禿鷹曾偉雄。実際に禿頭のタカ派(笑)。1989年に華人初のトップとなつたが退役後は李嘉誠の保安に身を窶した李君夏以来、在職が長かつただけの許淇安、文革曽の弟で退役後に交通大手の新創建集団に天下つた曾蔭培、1997年の香港返還記念式典でベートーベン「運命」大音響で流し反対派の罵声封じ退役後は天下らなぬのは立派だが毒にも薬にもならぬ家庭料理人でお茶を濁す李明逵、見た目はナイスだが謝罪会見ばかり続いた鄧竟成と警察トップは情けない輩ばかりだが現役のこの曾偉雄ほど世間に嫌はれる奴もをらず。

?閣は「內閣」で日新內閣欠經驗沒份量となり〼 內の字、日本語では冂に人の「内」ですが、冂=家に入る、が語意。「内」が俗字。
O, Kind God 親切な神様 & Venezia, settembre 1999 ベニス、1999年9月 [DVD]

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